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ジョージ・バーナード・ショー George Bernard Shaw(1856--1950)

 

ダブリンで、下級貴族の穀物商人の家に生まれたが生家は貧しかった。父親は人好きのする人物だが、酒飲みで生活力がなかった。母親は教養のあるしっかりした女性で、声楽家としてほとんどプロ級の才能があり、家の中には常に音楽が聞こえていた。ショーの学校教育は小学校程度で、主に独学で勉強した。早くから音楽や絵画、そして演劇に興味を持っていて、美術館や劇場が彼の学校だったと言える。1876年ロンドンに出て、先に姉とともにロンドンに出て音楽教師をしていた母親に寄宿しながら小説家を目指したが失敗。1880年代から美術・音楽・演劇に評論の筆を振るう傍ら、マルクス(Karl Marx, 1818-83)の『資本論』を読んで社会主義の影響を受けた。1884年、穏健な社会主義団体で、後にイギリス労働党の元となったフェイビアン協会(Fabian Society)の創設直後に入会、以後、同協会の主要メンバーとして、シドニー・ウェブ(Sidney Webb, 1859-1947)、ベアトリース・ウェブ(Beatrice Webb, 1858-1943)夫妻らと共に、パンフレットに講演に街頭演説にと大活躍した。

彼の辛らつでウィットに富んだ評論の評価は高く、特に音楽と演劇に関しては英米では評論集がたびたび再版され、現在の批評家によってもしばしば引用されるほどである。主要な演劇論としては『イプセン主義の真髄』(The Quintessence of Ibsenism, 1891)がある。これは『人形の家』などの戯曲で有名なノルウェーの劇作家ヘンリク・イプセン(Henrik Ibsen, 1828-1906)の作品を解説したものであるが、そこで論じられた社会問題やリアリズムの手法などは、後のショー自身の戯曲にも当てはまる。

ショーにとっての音楽上の英雄はリヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner, 1813-83)であった。ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』4部作を論じた『完全なワーグナー主義者』(The Perfect Wagnerite, 1898)で、ショーは、一般のロマン主義的批評家と異なり、この楽劇を社会主義的立場から19世紀資本主義社会を眺めた寓話として捉えている。この見方は、1970年代になってバイロイト音楽祭でパトリス・シェローの革命的な演出が上演されてようやく脚光を浴びることとなった。

社会主義思想をまとめたものとしては、『知的女性のための社会主義と資本主義の手引き』(The Intelligent Women's Guide to Socialism and Capitalism, 1928)という大著があり、今なお啓蒙的価値を保っている。

劇作は『やもめの家』(Widowers' Houses,1892)を処女作として以後半世紀以上の間に約50編の戯曲を発表し、その奇抜な皮肉と辛らつな破壊力とを社会のあらゆる因習の上に浴びせかけた。また、1903年の『人と超人』(Man and Superman)以降は、単なる因習打破にとどまらず、「生の力」を唱え、超人へと進化するよう努力するのが人間として生まれた使命であるとして、悦楽に耽り怠惰に流れる人類に警鐘を鳴らしつづけた。

ショーの芝居で特筆すべきは台詞のリズムとひびきの良さである。英国その他の英語圏でシェイクスピアに次いで上演される劇作家と言われるのも、台詞の見事さに負うところが大きい。

1925年にノーベル文学賞を受賞。

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