
ショーとワイルド
―― アイルランド的想像力――
森岡 稔 (MORIOKA Minoru)
はじめに
バーナード・ショーBernard Shaw (1856-1950)とオスカー・ワイルドはアイルランドのダブリン出身であり、友人の間柄である。二人の創作活動の仕方は異なるが、両者ともヴィクトリア朝道徳を批判し、科学万能主義に疑問を投げかけ、人間が発展するためには芸術という創造行為が必要であると主張した。ショーは、ウィリアム・シェイクスピアWilliam Shakespeareやワイルドの中にあるペシミズムを嫌っていたが、一方でそのペシミズムが独特のものであることを洞察していた。ショーによると、シェイクスピアやワイルドが悲惨な現実の重みに耐えることができたのは、彼らの天才の陽気さによるものであり、悲哀があってもそれを突き抜けて喜劇的要素を悲しみの不幸の中に見るからである。ショーは、「生涯、シェイクスピアの最後の作品に至るまで作品において傷心というものを見たことはない」[i]と言い切っている。ワイルドにしても出獄後、ワイルドの同性愛相手とされるアルフレッド・ダグラスAlfred Douglasに『獄中記』は精神が不安定なときに書いたものであるから、その本にあるような感傷主義を信じるべきものでないと言ったという[ii]。ワイルドは「芸術が人生を模倣するよりもはるか以上に人生こそ芸術を模倣する」[iii]という見解を示した。テリー・イーグルトンTerry Eagletonによると、芸術は自らの世界を発明しなければならないという考え方は、アイルランド人に共通するものである。ショーとワイルドにとって「世界は劇場」[iv]であるのかもしれない。自然を模倣するのが芸術ではなく、芸術が自然を創り変えていくという反模倣的美学すなわちアイルランド的想像力に支えられた芸術観を彼らは持っている。アイルランド出身のワイルドもショーも言わば英国の部外者である。二人とも芸術によって英国の社会変革を試みる際に、既成道徳に縛られずに自由に思考できる立場にいた。リアリストであったショーとあくまで虚構に生きたワイルドはちがうように見えて、言語が世界を変革していくというアイルランド的想像力という共通点をもっている。ショーとワイルドの思想のどこが異なって、どこか同じなのかを明らかにするのが、この論考のめざすところである。
1.ショーにおける「古典的なるもの」とは
ワイルドの『獄中記』にあるペシミズムはシェイクスピアの作品にあるペシミズムにと同じものである。まずシェイクスピアのペシミズムについて考察してみよう。ショーは確かにシェイクスピアのペシミズムを攻撃していた。ショーの劇評の中で最もシェイクスピア批判が顕著なものとして、次のようなシェイクスピアの『シムベリーン』Cimbeline (1609-10)に対する劇評がある。この劇評では、手厳しく『シムベリーン』を批判をしている一方で、シェイクスピアの天才をも絶賛している。妙な話ではあるが、それはシェイクスピアの作品の中のペシミズムを嫌っているものの、それを極めて芸術的にそして効果的に使っていることに対する毀誉褒貶が相半ばしていることによるものであろう。
It is for the most part stagey trash of the lowest melodramatic order, in parts abominably written, throughout intellectually vulgar, and judged in point of thought by modern intellectual standards, vulgar, foolish, offensive, indecent and exasperating beyond all tolerance. There are times when one asks despairingly why our stage should ever have been cursed with this 'immortal' pilferer of other men's stories and ideas, with his monstrous rhetorical fustian, his unbearable platitudes, his pretentious reduction of the subtlest problems of life to commonplaces against which a Polytechnic debating club would revolt, his incredible unsuggestiveness, his sententious combination of ready reflection with complete intellectual sterility, and his consequent incapacity for getting out of the depth of even the most ignorant audience, except when he solemnly says something so transcendentally platitudinous that his more humble-minded hearers cannot bring themselves to believe that so great a man really meant to talk to them like their grandmothers. With the single exception of Homer there is no eminent writer, not even Sir Walter Scott, whom I can despise so entirely as I despise Shakespear when I measure my mind against his. The intensity of my impatience with him occasionally reaches such a pitch, that it would positively be a relief to me to dig him up and throw stones at him, knowing as I so how incapable he and his worshippers are of understanding any less obvious form of indignity. To read Cymbeline and to think of Goethe, of Wagner, of Ibsen, is, for me, to imperil the habit of studied moderation of statement which years of public responsibility as a journalist have made almost second nature to me... But I am bound to add that I pity the man who cannot enjoy Shakespear. His gift of telling a story (provided someone else told it to him first); his enormous power over language, as conspicuous in his senseless and silly abuse of it as in his miracles of expression; his humour; his sense of idiosyncratic character; and his prodigious fund of that vital energy which is... the true differentiating property behind the faculties... of the man of genius enable him to entertain us so effectively that the imaginary scenes and people he has created become more real to us than our actual life. [v]
これは概して最も低級なメロドラマの部類に属する。場当たりをねらった駄作であり、ところどころになんとも忌まわしいせりふがあり、全体を通じて知的に俗悪であり、思想の点でも現代の知的基準から判定すると、俗悪で、ばかげていて、不快で、品格を書き、とうてい容認しきれないほど人の心を苛立たせる。この「不滅の」盗作者と、その醜怪なレトリックの誇張と、その耐え難い陳腐さと、人生の最も微妙な問題をも工芸協会の討論クラブですら反対しそうな凡庸事に還元してしまうそのもっともらしさと、その信じられるほどの暗示性の欠如と、出来あいの思考を完全な知的不毛とを結びつけるその勿体ぶった警句性と、従ってもっとも無知な観客を相手にしてさえも彼らの理解を超える高みに達することができず、かろうじて、きわめて超越的に陳腐な事柄を彼が厳かに言った場合だけ、比較的謙遜な聴衆は、かくも偉大なお方が本気でお祖母さんのように自分に語りかけていることをとても信じられない―そういう凡俗さとで、ただの一度であろうとわが国の舞台が穢されるとは、一対どうしたことであろうと絶望的に問わずにはいられない場面が多々あった。ホメロスを唯一の例外として、私が自分の精神を他の作家のそれと比べて計量するときにシェイクスピアほど完全に軽蔑せざるを得ない有名作家はないのであり、サー・ウォルター・スコットでさえも、私はシェイクスピアほどさげすみはしない。シェイクスピアに対する私のいらだちの激しさは時として非常な程度に達し、そのとき私は彼を墓場から掘り起こして石を投げつけられたらざぞや気が休まるであろうと思う。そこまであからさまに侮辱しなければ、彼にも彼の崇拝者にも侮辱が通じないと私にはわかっているからである。『シンベリーン』を読んだ上でゲーテを想い、ワーグナーを想いイプセンを想うことは、私にとっては、何年もの間ジャーナリストとして公の責任をとっていたために殆ど習い性となった、努めて穏健に語るという習慣を台なしにしてしまう危険をはらんでいる・・・しかし付け加えておかねばならぬが、私はシェイクスピアを楽しめない人を憐れむ。物語作者としてのシェクスピアの才能や(もっともそれはまずほかの作者から彼が物語を聞いていた場合であるが)、言葉を無意味かつ愚かに悪用する場合にも表現上の奇跡をなしとげた場合と同じように顕著である彼の途方もない言語駆使力や、彼のユーモアや、奇人・変人に対する彼の感覚や、天才の能力の背後で真に天才独自の素質となっている・・・あの生命的活力の源を彼が驚くべきほど豊富にもっていたことなどによって、彼は、きわめて効果的に私たちをたのしませることができるのであり、ために、彼の創造した架空の場面や人物が私たちの実生活よりも私たちにとって生々しいものとなるほどだ [vi]。
シェークスピアは人間の弱さを書くことに熱心であった。一方、ショーは創造的進化論を掲げて、「生の力」Life Forceを信じ、人間がいかに道徳的な崇高さをもち、現実をリアリステックに見る強さが得られるかを追求した。ショーがシェイクスピアを攻撃するのは、シェイクスピアが、劇作を作る際に、ペシミズムが効果的であることを知っていて人を感情的におぼれさせ、ロマンチックな人の弱さに介入していくからである。ショーの関心は人間の知性や創造性に向いていたのである。
ショーは、このように『シムベリーン』を酷評したが、シェイクスピアの作品のすべてが感情におぼれたロマンチックな劇だとは言っておらず、少なくとも『ハムレット』(Hamulet)は知性的であるとしている。『ハムレット』についての劇評で、ショーは自分が劇において追究する知性的・創造的側面を「古典的なもの」と呼んでいる。
What I mean by classical is that he can present a dramatic hero as a man whose passions are those which have produced the philosophy, the poetry, the art and the statecraft of the world, and not merely those which have produced its weddings, corner's inquests and executions. [vii]
古典的という言葉で私が意味しているのは、劇のヒーローを次のような情熱をもった男として登場させることができるということである。その情熱とは、この世において結婚式や、検視や、処刑を生み出した情熱ばかりではなく、この世の哲学や詩や美術や演劇を生み出しもしたところの情熱なのである。
ショーは、歴史というものは個人を通じてみずからを表現する「生の力」の表現だと考えていた。それが劇のヒーローの情熱を生み出し、創造的な高次の力の顕現が反動や沈滞という因習的な力と衝突するのである。この自己が創造的な進化にいることに気付いている知性人、すなわち「超人」が物質主義的で因習的な俗人と戦うドラマがショーの劇の特色である。したがって、ハムレットはシエイクスピアの劇においてまれな高次の進化人種と考えられていた。「この世の哲学や詩や美術や演劇を生み出す情熱」はとりもなおさず人間の創造活動を推進する情熱であり、人を宗教的な人間に向かわせる衝動的情熱なのである。ショーの言う「古典的」というのは、そういう深い意味を持っている。
ショーの知性主義は、人が感情におぼれいたずらにペシミステイックになり、無知ゆえに受動的な人生を送ることを戒める。『人と超人』Man and Supermanの第3幕の中でドナ・アナDona Anaが「天国には瞑想しかないの、ジュアン?」“Is there nothing in heaven but contemplation, Juan?”と問うと、次のようにドン・ジュアンDon Juanは答える。
In the Heaven I seek, no other joy. But there is the work of helping Life in its struggle upward. Think of how it wastes and scatters itself, how it raises up obstacles to itself and destroys itself in its ignorance and blindness. It needs a brain, this irresistible force, lest in its ignorance it should resist itself. In the heaven I seek, no other joy. But there is also the work of helping Life in its struggle upwards. [viii]
私の求める天国には、それ以外の喜びはない。しかし、向上への苦闘を続ける「生」の手助けをする仕事もある。「生」がその無知と盲目さゆえにみずからを浪費し、またいかにしばしば障害を築き上げて、無知と盲目のために自らを滅ぼしていることか。だから、この抗しがたい力には頭脳が必要なのだ。さもないと、それは無知のあまりみずからに逆らうことになる。[ix]
このように、ショーのペシミズム嫌いは物質主義的で受動的に生きる人生を嫌うところから発している。したがって、ショーは当時隆盛を誇ったダーウィニズムに対しても反旗をひるがえす。考える人は、感情家にはない自制心を有しているというのがショーの考え方である。
As there is no place in Darwinism for free will, or any other sort of will, the Neo-Darwinists held that there is no such thing as self-control. Yet self-control is just the one quality of survival value which Circumstantial Selection must invariably and inevitably develop in the long run.... What is self-control? It is nothing but a highly developed vital sense, dominating and regulating the mere appetites. [x]
ダーウィンの理論には、自由意思も、いかなる種類の意思も入り込む余地がないので、新ダーウィン主義たちは自制というものはないと主張した。だが、自制こそ環境選択(自然淘汰)が結局は必ず不可避的に育成しなければならない生存価値特性なのだ。・・・自制とは何か。単なる欲望を支配し、調節する高度に発達した生命感覚である。
意志という精神の舵取りがないところにはペシミズムが胚胎する。意志の力がないところには自制心も育たない。ショーによると、ダーウィニズムは、自制という自由意志のある生命感覚が自然淘汰を可能にしていく理論なのに、自分たちの理論がわかっていない。ペシミズムは意志という強い意識に裏付けられたショー独特のオプティミスティックとは対極をなす。
2.『ワイルド伝』論争と『獄中記』
そもそもショーとワイルドとの関係の始まりは、オスカー・ワイルドの父ウィリアム・ロバート・ウィルスWilliam Robert Willsが1841年、ダブリンに眼科・耳鼻科を開業したときの話にさかのぼる。ウィリアム・ロバート・ウィルスが、バーナード・ショーのジョージ・カー・ショーGeorge Car Shawのやぶ睨みなのを手術し、やりすぎて今度は反対側の方にやぶ睨みになったという。[xi]
ショーとワイルドとの関係で必ずといっていいほど取り上げられるのは、ワイルドの友人フランク・ハリスFrank Harrisの『ワイルド伝』Oscar Wilde: His Life and Confessionsにショーがつけた序文“My Memories of Oscar Wilde”をめぐっての問題である。ショーはその中で「ワイルドの晩年は非生産的酔いどれであり、詐欺師であった」“He(Wilde) ended as an unproductive drunkard and swindler.”と言った。それに対しワイルドの友人で、ワイルド擁護派のロバート・ハーボロー・シェラードRobert Harborough Sherard [xii] が憤激し、1933年"Oscar Wilde; Drunkard and Swindler: A Reply to George Bernard Shaw"と題する論文を書き、続いて彼は1937年 Bernard Shaw; Frank Harris and Oscar Wildeと題する著書を刊行した。その著書は、Shawに対する反撃とフランク・ハリスの『ワイルド伝』の虚偽を詳細を極めた調査研究に基づいて論じた300頁を超える大著であった。ショーは当然のごとく皮肉たっぷりに応酬する。「“酔いどれ”という言葉を取り消してもよいが、1リットルのコニャックが一晩もたぬというワイルドを、シェラード氏は“酔いどれ”以外に何とよばれるのですかな」とシェラードに肩すかしを食わせた[xiii]。しかし、この論争も第二次世界大戦の勃発と、シェラードの死(1943年)、ショーの死(1950年)の死で未完のまま幕となってしまった。
『獄中記』は関係者の「ポジー」こと、アルフレッド・ダグラスについてまず触れなければならない。彼はワイルドと同じくショーの友人であった。人を賞めたことのないバーナード・ショーですら、ポジーの詩才はシェリーPercy Bysshe Shelleyに匹敵するものだと言っているほどである。ワイルドがポジーに引かれたのは、決して単なる美貌だけでなく、強烈な迫力のある性格と芸術的魅力をも含まれていたにちがいない[xiv]。ワイルドがポジー同性愛を行ったことは事実としても、決してこれを公然とやったのではなく、彼の親しい友人でさえ、彼のそんな所業には気がつかないほどであった。例えば、ショーは「ワイルドがこの裁判(世界初の同性愛裁判)を始めるまでは、彼の同性愛の評判などはまったく耳にしなかった」と言っている。フランク・ハリスによると、ワイルドは日頃から男性と女性の美とを比較して、美という点から見れば男性の方が比較にならぬほど美しいものだと考えていた。そのため自然に対する美の鑑賞眼が、彼を男性の方に誘惑させたのだろうとフランク・ハリスはワイルドを弁護している[xv]。
裁判中にハリスとショーは、ワイルドの減刑嘆願の署名集めに文壇人の間を一人一人駆けまわったが、だめであった。その後ショーは、『獄中記』が発売禁止になっている状態について「これが禁止されているために人々は想像を逞しくして、あらゆる種類の疑心暗鬼的恐怖を感じているが、実のところこの二人の世にもまれな遊蕩児の痴話喧嘩以上の悪などもってはいないのだ」と彼一流の皮肉たっぷりな口調で、軽く本の発売禁止をあしらい、ワイルドの味方をしている[xvi]。
『獄中記』すなわち彼の牢獄生活は明らかにワイルドに心境の変化をもたらした。彼は何よりも悲哀の持つ意味を、身をもって体得したのである。
Prosperity, pleasure and success, may be rough of grain and common in fibre, but sorrow is the most sensitive of all created things. There is nothing that stirs in the whole world of thought to which sorrow does not vibrate in terrible and exquisite pulsation. The thin beaten-out leaf of tremulous gold that chronicles the direction of forces the eye cannot see is in comparison coarse. It is a wound that bleeds when any hand but that of love touches it, and even then must bleed again, though not in pain. Where there is sorrow there in holy ground. Some day people will realise what that means. They will know nothing of life till they do. [xvii]
繁栄や快楽や成功は、粒が粗く質も俗なものであることがある。だが悲哀はあらゆる造化のなかでも最も敏感なものだ。思想の世界に動いているもので、恐ろしくも精妙な脈拍をうちながら悲哀が振動しないようなものは何ひとつない。目に見ることのできないもろもろの力の方向を記録する薄く打ち伸ばした金箔(当時の空気の帯電を計る金箔検電器のこと)さえこれに比べればきめが粗い。それは愛のほかのどんな手が触れても血を噴き出す傷である。そして愛の手が触れたときでさえ痛みのためではないが、またも血を噴き出すにちがいない。悲哀のあるところに聖地がある。いつか人々はその意味するところを知るだろう。それを知るまでは人は人生というものについて何ひとつ知らないであろう[xviii]。
このように悲哀について考えたワイルドであったが、彼の悲哀は、徹底した個人主義によって裏打ちされている。ワイルドの個人主義は、自らの人生を自己の法則に従って創出するというものである。ショーも意志の力を重視するため個人主義的な様相を呈するが、ショーの場合、目的論的な宇宙の「生の力」と結びついているのが特徴だ。一方、ワイルドの個人主義は、人生を自分自身で決定する芸術作品と見るものであり、ショーのような自己以外の法則に従うことを徹底的に嫌悪するものである。ワイルドの個人主義は、牢獄生活によって強化され、その結果彼はキリストのようなロマンティシズム的で道徳的な共感に目覚めた。キリストは従来考えられているような博愛主義者ではなく個人主義者だとも言っている。
Christ is the most supreme of individualists.... One realises one's soul only by getting rid of all alien passions, all acquired culture, and all external possessions, be they good or evil....To live for others as a definite self-conscious aim was not his creed....But while Christ did not say to men, 'Live for others,' he pointed out that there was no difference at all between the lives of others and one's own life.... His morality is all sympathy, just what morality should be. [xix]
キリストこそは個性主義者たちのなかの最高の個人主義者なのである。・・・人は、善悪いずれにせよ、あらゆる異質的な激情、あらゆる後天的な教養、あらゆる外面的な所有を除くことによってのみ、ひとは自己のたましいを自覚する。・・・はっきりした自意識的な目的として他人のために生きるということは、キリストの信条ではなかった。それは彼の信条の基礎ではなかった。・・・しかし、キリストは人々に「他人のために生きよ」とはいわなかったが、他人の人生と自己の人生との間には全然なんの相違もないことを指摘したのだった。・・・彼の道徳はすべて共感である。まさに道徳はそうあるべきように[xx]。
ワイルドはキリストの生涯が、一つの芸術であり、彼自らが一個の芸術家であったとしている。その芸術家たる要素は、キリストが最も強い個性を持った個人主義者だった点だと考えた。決してキリストは人々に他人のために生きよとは言わなかった。キリストのように個人が自己の法則にしたがって生き、詩人的想像力で人生をみつめ、他人の命と自分自身の生命との間には、何の相違もなく、人に共感することをよしとしたのである。
彼のペシミズムは、この個人主義的な悲哀の感覚から導かれているといえる。ワイルドは単に人間の弱さからペシミズムを引き出しているのではなく、キリストのように悲哀を人生の機微を知るための想像力としている。
Christ's place indeed is with the poets. His whole conception of Humanity sprang right out of the imagination and can only be realised by it. [xxi]
キリストの位置はまことに詩人たちとともにある。キリストの人生観はすべて想像力から湧き出たものであり、想像力によってのみこれを悟ることができるのである。
以上のようにワイルドのペシミズムは受動的なペシミズムでなく、人生を一つの芸術作品に仕上げていく戦略であり手段である。彼のペシミズムが一筋縄では括ることができないのと同様、シェイクスピアのペシミズムも単純で受動的なものではない。シェイクスピアは人間の弱さを効果的に描くためにペシミズムを使うが、シェイクスピア自身は、知性豊かであるので、感情に溺れることなく、不幸の中に笑いを感じとってしまうのである。ショーがシェイクスピアを嫌悪するのは、わざとらしくペシミズムを利用することによって悪く言えば、観客をたぶらかすところにある。ところが、『ハムレット』や『リチャード3世』においては、知性によって冷静に客観的に人生を冷徹に見る態度がうかがえる。ショーは、『ソネットの黒婦人』The Dark Lady of the Sonnets (1910)の序文においてシェイクスピアとワイルドのペシミズムの共通点を示しているので次の章で見てみよう。
3.シェイクスピアとワイルドのペシミズムの共通点
ショーの『ソネットの黒婦人』はシェイクスピアを記念する国立劇場の設立資金のために書かれたとされている[xxii]。だが、次の序文の「シェイクスピアのペシミズム」"Shakespear's Pessimism"においてシェイクスピアと同時にワイルドのことをかなり意識している点から見て、ワイルドの『W・H氏の肖像』The Portrait of Mr. W. H.(1889)に触発されて書かれたのではないだろうか。フランク・ハリスも『人間シェイクスピアとその悲劇的生涯の物語』The Man Shakespeare and His Tragic Life-story [xxiii] を出している。アルフレッド・ダグラスもW・H氏の謎を生涯追い続け、ウィリアム・ヒューズWillie Hughesというカンタベリー出身で16歳から18歳の年齢であった少年俳優が実在することを突きとめ、『シェイクスピアのソネットの真相史』The True History of Shakespeare's Sonnets [xxiv] にまとめている。ショーも『ソネットの黒婦人』を書いたぐらいだから、ワイルドの周辺はW・H氏が誰なのかという話題でもちきりだったと考えられる。ワイルドは、W・H氏とは「年下の美貌の少年俳優」というアルフレッド・ダグラスと同じ説を立てている。『ソネットの黒婦人』で興味深いのは、ショーによるペシミズム論である。ショーにはシェイクスピアとワイルドに共通する独特のペシミズムに対する鋭い洞察力があって、彼らのペシミズムの本質になかなか気付かない観客に対して、もともと彼らのペシミズムはレトリックなのだということを知らしめようとして、ショーは『ソネットの黒婦人』を書いたのではないだろうか。
In view of these facts, it is dangerous to cite Shakespear's pessimism as evidence of the despair of a heart broken by the Dark Lady. There is an irrepressible gaiety of genius which enables it to bear the whole weight of the world's misery without blenching. There is a laugh always ready to avenge its tears of discouragement. In the lines which Mr Harris quotes only to declare that he can make nothing of them, and to condemn them as out of character, Richard III, immediately after pitying himself because
There is no creature loves me
And if I die no soul will pity me,
adds, with a grin,
Nay, wherefore should they, since that I myself
Find in myself no pity for myself?
Let me again remind Mr [Frank] Harris of Oscar Wilde. We all dreaded to read De Profundis: our instinct was to stop our ears, or run away from the wail of a broken, though by no means contrite, heart. But we were throwing away our pity. De Profundis was de profundis indeed: Wilde was too good a dramatist to throw away so powerful an effect; but none the less it was de profundis in excelsis. There was more laughter between the lines of that book than in a thousand farces by men of no genius. Wilde, like Richard and Shakespear, found in himself no pity for himself. There is nothing that marks the born dramatist more unmistakably than this discovery of comedy in his own misfortunes almost in proportion to the pathos with which the ordinary man announces their tragedy. I cannot for the life of me see the broken heart in Shakespear's latest works. [xxv]
これらの事実を見ると、黒婦人によって心が傷つき絶望した証拠としてシェークスピアのペシミズムを引用することは危険である。避けることなく世の中の悲惨のすべての重みに耐えさせているのは抑えきれない天才の陽気さである。常に悲嘆の涙を打ち返すような笑いがある。フランク・ハリス氏が引用した際、無視するとしか言えなかったリチャード3世中の、己を哀れんだ直後のセリフがある。それは不似合いなものとして批難すべきものである。というのは、
私を愛するものは誰もいない。
そして私が死んでもだれも私を哀れまないだろう。
にやりと笑って言葉を付け加える、
いや何で哀れむものか、私ですら自分自身に対して哀れむという気持ちが起きないのだから
もう一度ハリス氏にオスカー・ワイルドのことを思い出してもらおう。私たちはみな『深遠』を読むことを恐れる。私たちの本能が、耳をかすなとか、―決して悔い改めたというものではないが―傷心の人の嘆き叫ぶ声から逃れるべきだという。しかし私たちは私たちの哀れみを投げ捨てようとしていた。『深淵』はまさに『深淵』であった。ワイルドはあまりにも有能な劇作家だったのでその力強い効果を捨て去ることはできなかった。だが、それにもかかわらずそれは卓越した深淵だった。才能のない数多くの笑劇よりもあの本の行間には笑いがあった。ワイルドはリチャードやシェイクスピアのように自分自身の中に自分に対する哀れみというものがなかった。普通人が自分たちのことを悲劇だと感じさせる哀しみとほとんど同じような割合で、自分の不幸の中に喜劇を発見することほどまちがいなく生まれながらの劇作家であることを示すものはない。私は生涯シェイクスピアの最後の作品に至るまで作品において傷心というものを見ることはない[xxvi]。
ただ傷心に埋没するのは凡人である。シェイクスピアもワイルドも偉大なのはその悲哀を突き抜けたところにある。客観的に哀しみを見ることによって、哀しみを笑いに反転してしまうのである。ショーはシェイクスピアのペシミズムの根底にある笑いが茶目っ気のある風刺であることを強調している。“I lay stress on this irony of Shakespear's, this impish rejoicing in pessimism.”[xxvii] ワイルドにしても出獄後、ダグラスに向かって「僕が牢屋の内で、飢えで半ば頭が狂っている時に書いたもの(「獄中記」)を、よもや信じているんじゃあるまいね」と言ったという。ワイルドもシェイクスピアも彼らの作品のペシミズムの背後には、「心の目」である彼らの知性が横たわっており、風刺性のある笑いが存在しているといえるのだ。ワイルドやシェイクスピアには「心の目」が宿っていて世界のことを見通すことができたが、劇作における芸術的効果のためにペシミズムを使ったのである。ワイルドやシェイクスピアそしてショーが持つ「心の目」とは、現実から虚飾をはぎとって真実とは何かを探す知性に他ならない。『人と超人』の第3幕のDon Juanドン・ジュアンは次のように「心の目」を説明する。
But to Life, the force behind the Man, intellect is a necessity, because without it he blunders into death..... so it is evolving today a mind's eye that shall see, not the physical world, but the purpose of Life, and thereby enable the individual to work for that purpose instead of thwarting and baffling it by setting up shortsighted personal aims as at present.
だが、人間の背後にある生命という力には、知性は必要なのだ。これがなければ、無茶に動いて死んでしまうからな。・・・ちょうどそのように今や生命は心の目を生み出そうとしている。これが見るのは現実の世界じゃない、生命の目的なんだ。それが見えれば個体は今のように近視眼的に勝手な目標を定めて、肝腎の目的を妨害したりせずに、ひたすらこの目的のために進むことができる。
「心の目」は想像力の窓と言ってよい。人生を受動的なペシミスティックではなく能動的で主体的に人生を自分で切り拓いていくオプティミスティックな力があるはずだとショーは考え、生命の目的を見定める「心の目」すなわち知性が必要だというのである。この主体的・自己決定的に人生を構築していく姿勢は、ショーに限らずワイルドにも強烈に見られるものである。そういう意味でもワイルドのペシミズムは受動的なものではない。
4.『W・H氏の肖像』と『ソネットの黒婦人』の比較
4-1『W・H氏の肖像』における虚偽という美の形式
ワイルドの『W・H氏の肖像』The Portrait of Mr. W. H.は二つの版があって、初出のものは1889年の七月に『ブラックウッド・エディンバラ・マガジン』に掲載されたもの。もう一つは1921年に限定版としてニューヨークで刊行された改訂増補版であり、初出のものの二倍ほどの長さであった[xxviii]。『W・Hの肖像』は、シェイクスピアが『ソネット集』で愛を捧げた若い美貌のW・H氏とは誰かという謎をめぐってシリル・グレアムCyril Grahamとその友人アースキンErskineがそのために命を落とすという話である。ワイルドは、一般に流布しているW・H氏とは、「シェイクスピアの年上の貴公子のパトロンだ」という説を退け、「年下の美貌の少年俳優」という新説をたてた。
したがって『W・H氏の肖像』はシェークスピアがホモセクシュアル的に愛したW・H氏とはいったい誰であったのかを描いたミステリータッチの小説である。あまりにも奇抜な推理なのでシェークスピア研究者や一般の人々にも無視される傾向にあるが、実際には実証的な研究に基づいており、ワイルドの芸術観がみごとに表されている。
Drama, novel, poem in prose, poem in rhyme, subtle or fantastic dialogue, whatever I touched, I made beautiful in a new mode of beauty: to truth itself I gave what is false no less than what is true as its rightful province, and showed that the false and the true are merely forms of intellectual existence. I treated art as the supreme reality and life as mere mode of fiction. I awoke the imagination of my century so that it created myth and legend around me. I summed up all systems in a phrase and all existence in an epigram. [xxix]
劇、小説、韻文詩、散文詩、精妙なもしくは幻想的な対話など、およそ私の触れるものが何であれ、彼は新しい美の様式において美しくした。真実そのものに私はそれにふさわしい領分として真実であるものと同じく虚偽であるものを与え、虚偽も真実も要するに知的存在の諸形式にすぎないことを示した。芸術を至高の存在実在とし、人生を単なる虚偽の一形式として扱った。私の世紀の想像力を目覚めさせ、その結果それは私のまわりに神話と伝説を創造した。私はすべての体系をひとつの文章に、すべての存在をひとつの警句に要約した。
人間が生きていく上で、自分なりの生き方すなわち「神話」をつくる必要がある。そのためには、人は想像力を働かせなければならないが、芸術はその指針であり、モデルだといえるだろう。ワイルドの「人生が芸術を模倣する」という宣言は、そういう意味でとらえるべきであり、「虚偽」falseという言葉は誤解を受けやすいが、人は人生の数多い可能性を想像力を働かせながら人生の方向を選び取り行動していかなければならないということを示す。
4-2『W・H氏の肖像』の内容
『W・H氏の肖像』の内容は次の通りである。アースキンの家で「僕」は彼と一緒に食事をした。アースキンにはシリル・グレアムという親友がいた。アースキンは一枚の板絵を持ち出してきた。その板絵は「W・H氏の肖像」であった。シェークスピアのソネットには、シェイクスピア本人とW・H氏、それに黒婦人が登場する。従来はW・H氏はペンブルック卿、黒婦人はメアリー・フィットンだとされていた。ところがシリル・グレアムはW・H氏とはペンブルック卿ではなく、シェークスピア劇団にいた美少年のウィル・ヒューズ氏Master Will Hewsだという説をとる。シリル・グレアムは偶然にもシェークスピアの『ソネット集』を手に持ったウィル・ヒューズの板絵を発見したとアースキンに告げたのであった。ところが、その板絵は偽作であることをアースキンは知ることとなり、シリル・グレアムは恥ずかしさのあまり、ピストル自殺してしまう。シリル・グレアムは自説を展開するのに、証拠としてそのような絵が欲しかったので偽作の絵をつくってしまったが、自説は真実にまちがいないという自信はあった。W・H氏がウィル・ヒューズ氏であるという真実を自分の命を捧げてまでも守り抜きたいと思って自殺したのだ。シリル・グレアムはアースキンにシェークスピアの秘密の鍵をはずす仕事を継いで欲しいという内容の手紙を書いた。ところがアースキンはシリル・グレアムの説が、まゆつばものであると思ってシリル・グレアムの遺志を実行していない。「僕」はそれではアースキンは友達甲斐がないではないかという。さらに勢いに乗った「僕」は自分がシリル・グレアムが残した説を引き継ごうと決心する。アースキンは「僕」に時間の無駄はよせと忠告するが、「僕」はシリル・グレアムの説に対する情熱が止まらなくなってしまった。
「僕」はシェークスピアのソネットの本を丹念に読み始める。ソネットが映し出す情緒や情熱は劇作を作り出すためには欠かせないものであったことがわかる。シェークスピアはウイル・ヒューズの多彩な演技力と芸域の広さを次のように讃える。
What is your substance, whereof are you made,
That millions of strange shadows on you tend?
Since every one hath, every one, one shade,
And you, but one, can every shadow len
君を作っている実体は何であろうか、
数知れぬ不思議な影が君にはつき従っている。
誰も一人一つの影しか持っていないのに、
君は一人ですべての影が投げられるのだ。 (ソネット53番)
「人生は歩いている影にすぎない。おのれの時を舞台の上で、気取ったり騒いだりする惨めな俳優だ」というセリフが『マクベス』にある。そのうち「僕」はシェークスピアがウィル・ヒューズに結婚することを勧めていることに気がついた。シェークスピア自身が若くして結婚して失敗しているのだからありそうにもない話である。まして初めの方のソネットで子供をもうけよと不思議なほどに勧めているのは耳障りなほどである。ところが、この子供というのは血肉を備えた人間の子供ではなく、「絶えることのない名声と不朽の子供だ」という意味なのであることが判明した。これはシェークスピアがソネット集の印刷者であるトマス・ソープThomas Thorpe への献呈の言葉の中にある「生みの親」`begetter'という言葉でも類推することができる。ウィル・ヒューズが生み出す子供たちは限られた生命の子供のように絶えてしまうことがないばかりか、彼はその子供たちとして、またシェイクスピアの戯曲のうちに生きていくのである。芸術の形の中にウィル・ヒューズは自分を残していかなければならない。芸術はまさに喜びの神秘をもっている。ウィル・ヒューズによって掻き立てられたイマジネーションはシェークスピアの詩句の中で生き続ける。
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou owest;
Nor shall Death brag thou wander'st in his shade,
When in eternal lines to time thou growest;
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this and this gives life to thee;---
だが不滅の詩句が君を時につなぐとき、
君の永遠の夏は移ろうこともなく、
いま君の持つ美も消え失せることがなく、
君が黄泉の国をさ迷うことも、死が誇ることもない、
人々が息づき、人々の眼がみえるかぎり、
この詩は生き、これが君に生命を与えるのだ。 (ソネット18番)
別のソネットの中に『男にして女なる君(マスター・ミストレス』)というのがあるが、それは女形を演じられる男性役者を意味する。「男にして女なる」ウィル・ヒューズの美しさがシェイクスピアの戯曲を生み出す力の要石であった。やがて、ウィル・ヒューズはシェイクスピアの劇団を去ることになる。クリストファー・マーロウによって引き抜かれたのである(マーロウは『エドワード二世』のギャヴェストンを演じさせようとした)。その後、彼はマーロウの死によってシェークスピアのもとにもどってくるのであるが、シェークスピアはあっさり許してもいる。
俳優は短い瞬間であっても、創造力をもった芸術家であり、その俳優の存在と人格を通して、悲劇が訴える恐怖と憐憫の源に触れられるのである。したがって、シェークスピアがウィル・ヒューズに対して抱いていた愛情は、音楽家が演奏することを喜ぶ精妙な音を出す楽器への愛に似ており、彫刻家が新しい造形的表現を作り出すことに比することができる。シェークスピアにとってウィル・ヒューズは得難い貴重な共同製作者なのだ。シェイクスピアがウィル・ヒューズに抱いた友情ともいうべき愛情は芸術家仲間同士が抱く最も高尚な基本的な感情である。古代ギリシア人の間で、友情は高尚で格調の高い古代の理想に高められ、自意識のある知性の発展の一つの様式になっている。愛に関する知的な熱中と肉体的情熱のあいだに興味深い類似を指摘することは、美しい生きた肉体の中に「イデア」の受肉化を想像し、努力によって新しいものを生み出す精神的な考えの具現化を見ることになるのだ。「美」は誕生を支配する女神であり、魂の裡にある漠然とした考えを日中の光の中に引き出すものである。プラトンの説とは、真実の世界はイデアの世界であって、このイデアが目に見える形をとって人間に具現化されるというものである。肉体の領域から精神の領域への神秘的な転換がある。そのとき肉体の強い欲望は取り除かれて魂が主になる。ウィル・ヒューズのうちにシェイクスピアは、自分の芸術表現のための繊細な楽器を見いだしたばかりでなく、理想美の「目に見える体現」を発見したのである。
ソネット集からもウィル・ヒューズの声がいかに澄んで透明なものだったか、そして音楽の技巧にいかに長けていたかはわかる。少年俳優が舞台で少女の役を演ずることの出来る能力は、長くてせいぜい数年間である。シェークスピアはウィル・ヒューズの美しさを保存させたいために、「時」に訴えてもいる。
Make glad and sorry seasons as thou fleets,
And do whate'er thou wilt, swift-footed Time,
To the wide world and all her fading sweets;
But I forbid thee one most heinous crime:
O! carve not with thy hours my love's fair brow,
Nor draw no lines there with thine antique pen;
Him in thy course untainted do allow
For beauty's pattern to succeeding men.
広いこの世界と消えゆく美のすべてに対し、
季節を喜びや悲しみに変えながら
疾走していく「時」よ、思う存分に振る舞うがよい。
しかしただ一つ、極悪な罪をお前に禁ずる―
ああ、わたしの愛する者の額に時を刻んだり、
お前の古びた筆でそこに線を刻んではならない。
過ぎゆくお前の手で汚さずに、
彼を後世の人々に美の手本として残してくれ。(ソネット19番)
「僕」は、W・H氏が誰であるかの研究を始めてから数週間もしないうちに、まるで悪い前兆のように表れて、シェイクスピアの熱烈な恋愛の対象となり、一時期、彼とウィル・ヒューズの間にいた黒婦人の登場する奇妙なソネット群(ソネット127~152)に行き着く。この女性はいったい誰であったか。肉感的な口と「残酷な眼」を持ち、「よこしまな魅力」と不誠実だが魅力的な性質をした黒い眉とオリーブ色の肌のこの女性はいったい誰であったのか。研究家のトーマス・タイラーThomas Tylerは、メアリー・フィットンというエリザベス女王のある女官のことを指しているのだという意見を出した。ともあれシェイクスピアとウィル・ヒューズのあいだに入り込んできたのは、実在の女性であり、黒い髪と黒い目をした、評判のかんばしくない既婚の女性であった。黒婦人については次の二点は確かである。すなわち、彼女がシェークスピアよりもはるかに年上であったこと、そして彼女が彼に及ぼした魅力は知的なものであったということである。彼女に対するシェークスピアの気持ちも初めのうちは肉体的な情熱を含んではいなかった。たとえば次のような言葉でわかる。「誓って言うが、わたしは眼であなたを愛するのではない」“In faith I do not love thee with mine eyes.”(ソネット141番)
そこに問題が持ち上がった。黒婦人がウィル・ヒューズを愛の罠でとらえようとしたからである。もし彼女が自分から奪った最愛の友ウィル・ヒューズを自分に返してくれるならば、その時こそ、自分の生活と天才とを彼女に捧げようとシェイクスピアは言っている。この目的を遂げるために、シェイクスピアはこの黒婦人に身をゆだね、彼女をわがものにしたい、というわれを忘れたような官能的な情熱に駆られるふりをして、いつわりの愛の言葉を作り上げ、嘘をついた。さらには嘘をついていることを彼女に語る。友に自分を裏切らせるよりは、自分が友に対して裏切り者になろうとする複雑な関係が出来上がる。友の純潔を守るために、彼は自分自身を汚れたものにしようとする。
シェークスピアは、恋人の演技にすぎなかった恋の衣裳がいつのまにか脱ぎ捨てれないことがわかる。シェイクスピアに恥ずかしさと堕落の意識が襲ってくる。もちろん黒婦人がウィル・ヒューズを誘惑したことはシェイクスピアにたいする裏切りであるが、ウィル・ヒューズと黒婦人の間を裂くことを目的として黒婦人に多くの甘い言葉で恋人のふりをしたシェイクスピアの裏切りは、それに劣らず邪悪である。
この事件全体を通して、シェイクスピアのウィル・ヒューズに対して抱いていた熱烈な愛情と、自己犠牲とを示した。シェイクスピアがロンドンを去り、ストラットフォードへ帰ってからロンドンにもどってみるとウィル・ヒューズは黒婦人に飽き初めているのがわかる。黒婦人とは「僕」が調べるかぎり、当時の普通一般の女性より高い教育を受けているが、高貴な生まれではなく、おそらく金持ちの年取った一市民の多情な妻だったと思われる。そのころの社会に目立って勃興してきたこの階級の女性は、妙なことに舞台演劇という新しい芸術に魅了されていた。黒い髪は当時の流行を変えた。1594年にはすでにシェイクスピアに対する黒婦人に対する情熱も醒めてしまっていた。
「僕」はソネット集によって美への愛、愛への美の秘密に分け入ったように感じた。魂は素速い動きの感覚を持ち、何かを生み出す情熱と、思考を集中させた時の精神的な恍惚と、灼熱に彩られた激しい愛を持っている。非現実的なのはわれわれの方であって、われわれの意識的な生活は発展の上であまり重要でない役割しかもっていない。見えぬ魂だけが唯一の現実性のあるものだ。
「僕」はシリル・グレアムを文学史の正当な位置にもどしたばかりでなく、シェイクスピアの名誉を、彼が被った陰謀のつまらぬ記憶から救い出したようにさえ思えた。『ソネット集』のウィル・ヒューズ説に対する僕の信念の能力を全部出し切ってしまうと、しだいにこの問題に対する関心が薄れてきてしまった。アースキンにそのことをいうと時間のむだだと言っていた彼は、「僕」のウィル・ヒューズ説に対する研究の情熱がさめてしまったことを残念がる。しばらくして、アースキンが死んだことを知らされた「僕」は彼が自殺したのかもしれないと思って駆けつける。しかしながら、「僕」はアースキンが肺病による死だとわかったが彼がある意味でウィル・ヒューズ説とともに殉死したのではないかと思う。W・H氏の肖像が書かれた板絵をアースキン夫人からもらって「僕」の書斎に飾った。絵を眺めていると、シェイクスピアのソネットに関するウィル・ヒューズ説はやはり価値のある説だと思えてくる。
以上が『W・H氏の肖像』の内容であるが、シェイクスピアの154篇あるソネットのいりくんだ状況がすっきりしてくるのは、ワイルドの手腕と事実の確かさからくるものであろう。シェイクスピアとW・H氏の関係はワイルドとアルフレッド・ダグラスとの関係にかなり似ている。
4-3『ソネットの黒婦人』
ショーはトーマス・タイラーThomas Tylerの説をとって『ソネットの黒婦人』(1910)を描いた。つまり、W.H氏を"ペンブルック伯Earl of Pembroke (William Herbest)、黒婦人をメアリ・フィットンMary Fittonとする説である。そして戯曲においては、エリザベス女王と黒婦人とシェークスピアを登場させ、シェークスピアによる「黒婦人とペンブルック伯の間柄に対する嫉妬」、黒婦人による「夢遊行をするエリザベスとシェークスピアの間柄に対する嫉妬」といった二つの嫉妬を描いてソネット問題を戯画化している。
Next to the translation of Ecclesiastes, his [Thomas Tyler's]magnum opus was his work on Shakespear's Sonnets, in which he accepted a previous identification of Mr W. H., the "onlie begetter" of the sonnets, with the Earl of Pembroke (William Herbert), and promulgated his own identification of Mistress Mary Fitton with the Dark Lady. [xxx]
伝道の書に続いての彼(トーマス・タイラー)の「大作」はシェークスピアのソネットに関する作品であった。そこにおいて彼は前から指摘されているソネットの「唯一の生みの親」、W・H氏をペンブルック伯(ウイリアム・ハーバート)とし、メアリ・フイットン夫人を黒婦人とする彼の認識を公表した。
『ソネットの黒婦人』において、ショーはシェイクスピアについての非難も盛んにしており、ペシミズムを駆使しているのは劇作ばかりでなく、女性を誘惑するのにもそれを使用していることを示している。まぎれもなくシェイクスピアのペシミズムを批判している。次の黒婦人がエリザベスに向かって言うセリフでそれが表されている。
Oh, madam, if you would know what misery is, listen to this man that is more than man and less at the same time. He will tie you down to anatomize your very soul: he will wring tears of blood from your humiliation; and then he will heal the wound with flatteries that no woman can resist....He is flattering you even as he speaks. [xxxi]
おお、悲哀というのはどんなものかをご存じになりたければ、人間以上で、もっとも同時に、それ以下のこの男の言うことをお聞きなさいませ。この男は陛下のその御魂をまでも解剖しようと、陛下を縛ってしまいましょう。陛下の優しいお心から血の涙を絞りとりましょう。それから、いかなる女でも逆らい得ないようなへつらいでその傷を治すのでございます。・・・彼は話している時でもお追従を言うのです [xxxii]。
ワイルドがペシミズムで利用した悲哀の効果によってシェイクスピアは、女性の心をわしづかみにし、傷つけると同時にその傷をいやすという。シェイクスピアによって女性が翻弄されるようすをよく表している。エリザベスに追従を言うために黒婦人を目の前にして、彼女を軽視した言い方をする。涙を見せる黒婦人に対して、「悲しみはついにおまえの身体から音楽の調べを出した」"At last sorrow hath struck a note of music out of thee." と言う。あまりにもシェイクスピアの黒婦人に対する態度がひどいので、エリザベスが黒婦人に同情してシェイクスピアの冷酷さをなじると、「私は残酷ではありません。が、ジュピターとセミールの話をご存じでありましょう。私は電光であの女を焼き焦がさずにはいられなかったのでございます」“I am not truel, madam; but you know the fable of Jupiter and Semele. I could not help my lightnings scorching her.”と黒婦人がいかにも凡人であるかのように言って言って自分の天才ぶりをひけらかす。
シェイクスピアはペンブルック伯が黒婦人に月明かりのもとでソネットを詠んで黒婦人に横恋慕したことを王宮の番人に知らされて嫉妬し、激怒する。ワイルドの設定だと、黒婦人がW・H氏に接近したのであるから逆である。王宮の番人にペンブルック伯がそんなに悪いやつかと咎められると、冷静な状態にもどって、「それは人情というもので腹が立ったときはお互いにののしり合うだけのことだ。それだけのことさ」“Bad? O no. Human, Master Warder, human. We call one another names when we are offended, as children do. That is all.”と答える。それを受けて番人は『ハムレット』にあった台詞のように「そうだ。言葉、言葉、言葉だ」という。“Ay, sire: words, words,words.”シェイクスピアはこの韻律がすばらしいと褒めメモをとる。「韻律とは世界を支配することだ」“A thing to rule the world with.”とシェイクスピアが言うと、番人は「かわいそうな人間はあなたに引きつけられるような気がして、いわば、自分の考えをあなたと喜んで分かち合おうとするんだ」“A poor man feels drawn to you, you being, as twere, willing to share your thought with him.”ここでもシェイクスピアが人が共感するような言葉の技巧を持っていることを示している。ところが、シェイクスピアは、「それが私の商売なんだ。でもああ、世間は大部分は私の考えを少しも喜ばないんですよ」“Tis my trade. But alas! the world for the most part will none of my thought”と謙遜とも詩人としての自負とも思える発言をする。
ショーの24番目の作品として書かれた『ソネットの黒婦人』が書かれた1910年はシェークスピア没後300年にあたり、ショーは国立劇場建設のために基金を募る趣旨でこの一幕物の戯曲を書いたという。
"This play which you are going to hear is all about Shakespear and Queen Elizabeth; but it is really only an appeal for the Shakespear Memorial National Theatre which we have been trying to make the English nation establish for thirty years past." [xxxiii]
これからお聞きになるドラマはすべてシェイクスピアとエリザベス女王のことです。しかし、このドラマは私たちが過去30年にわたってイギリス国民に設立させようとしてきたシェイクスピア国立記念劇場設立のための宣伝にすぎません。
夢遊病で寝所から彷徨い出てきたエリザベス女王が登場し、シェイクスピアと遭遇する。シェイクスピアは、恋人の黒婦人ことメアリ・フィットンだと勘違いして「メアリ」と呼びかけると、夢うつつの女王は「メアリ、メアリ、誰だってあの女の身体にこんなにたくさんの血があろうとは考えもしない」“Mary! Mary! Who would have thought that woman to have had so much blood in her!”とマクベスの有名なセリフで答える。そこへ黒婦人が現れて、嫉妬にかられてその女性が女王だと知らずシェイクスピアとともに平手で激しく打つ。女王はマントを投げ捨て、威厳をただして「大逆罪であるぞよ」“High treason!”と叫ぶ。女王を売ってしまったことがわかった黒婦人は恐れおののいていると、敷石に倒れ込んだ彼は起き上がって「おい、おまえはシェイクスピアを打ったのだぞ」“You have struck WILLIAM SHAKESPEAR.”とからいばりすると、女王はそれは誰のことだと彼の面目がなくなるようなことを言う。彼が、女王の血筋のあいまいさにもかかわらず女王の地位に押し上げたのはその絶世の美人たる美貌の故であると言うと女王は気持ちがよくなる。さかんに女王の言葉をメモする彼に女王は、「おまえの芝居を書くために私はここにいるのではない」“I am not here to write your plays for you.”と言うと、彼は、これ幸いにと国立劇場設立を懇願する。その題材をそのままショーは劇に持ち込んでいる。
You are here to inspire them, madam. For this, among the rest, were you ordained. But the boon I crave is that you do endow a great playhouse, or, if I may make bold to coin a scholarly name for it, a National Theatre, for the better instruction and gracing of your Majesty's subjects. [xxxiv]
陛下は私の劇を鼓吹するためにここへおいでなのです。このことについてはとりわけ陛下は加味の命を受けておいでなのでございます。しかし、私の懇願するご褒美とは申しますのは、陛下が一大劇場、いや思い切って学者風の名称をそれに付けますれば、国立劇場をお恵み下されんことであります。陛下の臣民をさらに教化致しますために [xxxv]。
シェイクスピアは堕落した演劇を高尚で立派なものにもどすためにも国立劇場をつくってくれるようにエリザベス女王に頼むが、女王は否定的で、イギリス人はロシア人やドイツ人の村々に国立劇場ができてはじめて流行に後れまいと自分たちも同じものが欲しくなるという国民性なので今は早すぎるという。シェイクスピアは、あきらめずにもう一度懇願して女王と別れる。
5.アイルランド的想像力
ショーとワイルドが、同時代的に戦ったのは「自然」である。ショーはダーウィニズムに代表される偶然性に対し、創造的進化論を提唱して進化において精神を認めることによって汎神論的に生物や物質に生命が組み込まれることを示したのである。彼は、進化における意志と知性の働きと進化目的とそれに向かうための原動力である「生の力」の働きを明確にした。創造的進化とは、人生には意味と目的があって、自己が惰性に眠ることのないよう絶えず自己変革し、高次の存在になることを目標に創造の情熱をたぎらせ向上するというものである。生命は偶然に支配されるのではなく、内的で必然的な創造的な力によって、ある目的に向かって進化するというものである。
ショーと同じように精神性を重んじる態度はワイルドにも見られる。芸術とは自然に対する精神の反逆だととらえた。盲目的に決定を押しつける物質の法則を精神の法則によって内面的自由の獲得をしようとするのがワイルドの基本姿勢である。ショーは創造的進化によって精神の復活を試みたが、ワイルドの自然に対する精神の復権は、自己の外側にはる規制をいっさい排除する個人主義的なものである。人間的主体がショーのように自然の「生の力」に融和しつつ、精神の自律性も確保するという離れ業ができるのならよいが、ワイルドの場合、自己の決定に固執し想像力の可能性を切り拓くやり方であって極めて不安定な状況をつくる。この反模倣的な想像力がはばたく世界は、アイルランドでは文化的な伝統を誇るものである。想像力は、ショーの作品の中でも「心の目」「知性」「瞑想」などに名前を変えて表現されている。ワイルドは、想像力を生み出していく際に、自然を卑屈に模倣することはなく、あくまでも想像力の源泉は自己にあるとして自然を変革していく野望をもっていた。テリー・イーグルトンTerry Eagleton(1943-)は次のように述べる。
For the anti-mimetic aesthetic which his [Wilede's] dualism involves-art must invent its own world, or at least transform Nature rather than slavishly reproducing it-has a venerable Irish lineage, all the way from the fantastic hyperbole of the ancient sagas to the myth and symbolism of the Revivalists.[xxxvi]
彼(ワイルド)の二元論にかわってくる反模倣的な美学―芸術はみずからの世界を発明しなければならない、そうでないとしても、少なくとも〈自然〉を卑屈に複製するのでなく、〈自然〉を変革しなければならない―は、アイルランドでは由緒正しい系統を誇るものだからである[xxxvii]。
ワイルドの悲劇は、自分自身が自律性の根拠でありモデルなのだという反模倣的な信条を自らの人生に持ち込んだことにある。反模倣的な信条を遂行する手段はとりもなおさず言語である。言語は自然の圧制的な法則から自由な領域であり、芸術はその最高形式である。芸術が人生に与える影響は大きい。
Like Yeats, Wilde asserts with a certain Asendancy arrogance of mind that the world is whichever way we wish it. Or perhaps ot would be more accurate to say that it is a way of seeing which combined the cavalierness of the Anglo-Irish with their sense of being under siege. It will be left to the even more audacious Shaw to suggest that the point of such mental acts is not only to interpret the world but to change it―that if only we will hard enough, life will deliver us. [xxxviii]
イエイツのようにワイルドもいわばアセンダンシー(アイルランドの支配集団)的な精神の傲慢をもって世界はわれわれがそうあるよう望んだ通りに存在していると断定するのである。いや、それよりもむしろ、このような姿勢は、アングロ・アイリッシュの磊落さと四面楚歌の状態にあるという彼らの感覚を結びあわせる物の見方だということができるかもしれない。このような精神的ふるまいの要点は、世界をただ解釈するだけでなく、それを変革することにあるということ―熱心に望みさえすれば、生は、われわれの欲望をかなえてくれるだろうこと―を示唆するのはいっそう大胆なショーにまかされた仕事である [xxxix]。
世界を変革していくのはショーにおいては、超人にまかされた仕事であるが、超人は生の力に支えられながら高次の生をまっとうする個人である。個人といっても集合的な意味の人類のいわば代表者であるからワイルドの個人主義における個人とは異なる。しかしながら、ショーもワイルドも主体は流動的であり、ショーは意志の力によって創造的に、ワイルドは自己を虚構ととらえいくらでも自己は変容でき、主体は行動の選択を自由にできるという点で両者は共通している。そして、ワイルドもショーも英国の部外者である。社会変革する上において自由に思考できる立場にいたと言えよう。テリー・イーグルトンはアイルランド人作家の位置を次ように見ている。
The entry of the literary émigrés into modern English culture is by now a familiar narrative. From Conrad, Wilde and James to Shaw, Pound and Eliot, the high literary ground is seized by those whose very marginality allows them to bring fresh perspectives to the society they have adopted... The outsider casts a critical eye on his new-found culture, sees more than the natives do and can bring a relativizing or totalizing viewpoint to bear on it; yet his uprootedness often enough impels him to go native, become more English than the English, esteem a heritage he has chosen more dearly than those to the manner born. [xl]
近代イングランド文化における文学的亡命者の登場という物語は、昨今かなり人口に膾炙したものとなっている。コンラッド、ワイルド、ジェイムズから、ショー、パウンド、エリオットまで、高度に文学的な土壌を牛耳ってきたのは、自らの周縁性ゆえに、自らが加わることとなった社会を新鮮なパースペクティヴでとらえることのできた人々である。・・・部外者は、自分が新たに見いだした文化に批判的な視線を投げかける。そうした人は、土着の民よりも多くを見ることができる。そして、その文化に対して、相対化あるいは全体化を図る視点を導入することができる。しかしながら、部外者の根無し草的特質は、しばしば、そのひとが土地の風俗になじみやすいということ、イングランド人よりもイングランド的になり、自分が選択した文化の遺産を、生来恵まれた境遇にある者たちよりも、真摯に評価するようになるということを暗に意味している[xli]。
ワイルドの場合、自己はあくまでも自己であり、他者との関係によって人間的主体が構成されているとは考えない。ワイルドはこの人間的主体を美学的なものととらえ、自分があたかも一個の芸術品であるかのようにふるまった。そして倫理的なものと美学的なものを結合させ、彼の個人主義を貫いた。投獄されたあとは、他者に対してキリストのように共感することから喜びを見つけるようにもなった。しかし牢獄の中で彼の個人主義が変わったわけではなく、ショーはワイルドが「入った時と同じ人間として出てきた」と論評している。ショーは、『獄中記』のペシミズムの奧には喜劇的な要素が充満していることを喝破し、「人がことの全体を感傷的な悲劇のレヴェルに堕落させてしまうのには、うんざりさせられる」と言って芸術におけるペシミズムの効用を排除した。
おわりに
ショーの古典的なるものとは、人間の創造活動を推進する知性的・宗教的・芸術的情熱を指すものであった。ショーの知性主義はシェイクスピアやワイルドのペシミズムを嫌うが、彼らのペシミズムを単純にとらえてはならない。彼らのペシミズムには、知性が宿っており、笑いすらある。作劇においてペシミズムを効果的に使用しているにすぎない。とはいってもワイルドは悲哀を真実に至るひとつの窓とした。ショーにおける「心の目」である。自然に対する態度もショーは目的論的進化論である創造的進化論の立場をとるのに対し、ワイルドはあくまで個人主義を背景に人生を芸術作品とみて、虚構による自己をよりどころとする。「人生が芸術を模倣する」のである。
『W・Hの肖像』と『ソネットの黒婦人』を比較すると、「ソネット問題」を描くのにワイルドは芸術論に徹しているのに対し、ショーはパロディによって同じ題材を扱う。どちらの表現形式をとっても知性が光っている。ショーもワイルドも作品の中の人間的主体は流動的であり、ショーの場合は意志の力によって創造的に自己意識をもち、一方ワイルドの場合は自己を虚構ととらえて自己変容を成し遂げ、両者とも行動の選択は自由である。その自由な人間主体が社会変革の仕事を遂行していくことができるのである。ワイルドもショーも、アイルランド文化に存する反模倣的な想像力をもち、ダブリン出身という英国の部外者であるという立場を生かして、批判的でありながらも個性的に、創造的にイギリス文化に果たした功績は大きい。
注
[i]. Bernard Shaw, The Dark Lady of the Sonnets (Max Reinhardt, 1972), p.286.
[ii]. 平井博『オスカー・ワイルドの生涯』(松柏社、1963年、201頁)
[iii]. Oscar Wilde, "The Decay of Lying", Intentions. The works of Oscar Wilde ; v. 10 (New York : AMS Press, 1980) オスカー・ワイルド「嘘の衰退」『芸術論』オスカー・ワイルド全集4 、西村孝次訳(青土社, 1980-1981年)“All that I desire to point out is the general principle that Life imitates Art far more than Art imitates Life.”
[iv].「世界は劇場、人間は役者」の「世界劇場」の隠喩はE・R・クルツィスによれば、異教古代世界と原始キリスト教原始キリスト教にその源を発し、中世を経てルネサンスに達したという。磯野守彦『世界は劇場』(南雲堂, 1997年、9頁)
[v]. Shaw on Shakespeare: an anthology of Bernard Shaw's writings on the plays and production of Shakespeare, Ed.by Edwin Wilson.(Harmondsworth : Penguin, 1969), p.73.
[vi]. コリン・ウィルソン『バーナード・ショー』中村保男訳、新潮社, 1972. pp.129-30.を参照した。
[vii]. The Wisdom of Bernard Shaw Being Passages from the Works of Bernard Shaw New York Brentano's 1913 p.356
[viii]. Barnard Shaw, Man and Superman(London: Constable, 1949),p.101
[ix]. バーナード・ショー『人と超人 ピグマリオン : ベスト・オブ・ショー』 倉橋健,喜志哲雄訳 白水社, 1993. 105頁を参照し、拙訳をつけた。
[x]. Bernard Shaw, Back to Methuselah (London: Constable, 1949) p.lii.
[xi].『オスカー・ワイルドの生涯』(松柏社、1963年、4頁)
[xii]. Legion of HonourのKnight、Wordsworthの曾孫、
[xiii]. 平井博『オスカー・ワイルド考』、松柏社、1980年。より抜粋、p.43.
[xiv].『オスカー・ワイルドの生涯』(松柏社、1963年、4頁)110頁。
[xv]. 同上、117頁。
[xvi]. 同上、203頁。
[xvii]. Oscar Wilde. De profundis (London : Methuen , 1925) pp.34-5.
[xviii]. オスカー・ワイルド、オスカー・ワイルド全集Ⅴ、西村孝次訳、1981年、66-67頁を参照した。
[xix]. Oscar Wilde. De Profundis (London : Methuen , 1925) pp.34-5.95-118
[xx]. Bernard Shaw, The Dark Lady of the Sonnets 208
[xxi]. Oscar Wilde. De Profundis (London : Methuen , 1925) p.87
[xxii].『ソネットの黒婦人』は、「エディス・リテルトン婦人が1910年にこの芝居を考え出し、私がその台詞を書いた」Dame Edith Lytelton invented the play in 1910; I wrote the dialogue.とされている。Bernard Shaw, The Dark lady of the Sonnets:(max Reinhardt, 1972),pp.304-5.
[xxiii]. The Man Shakespeare and His Tragic Life-story(New York : Horizon Press, 1909、1969)
[xxiv]. The True History of Shakespeare's Sonnets (Port Washington : Kennikat Press, 1933, 1970)
[xxv]. The Dark Lady of the Sonnets, pp.285-6.
[xxvi]. 清水義和『ドラマの世界 : バーナード・ショー : シェークスピアからワーグナーまで』文化書房博文社, 2002. pp.163-4を参照し、拙訳をつけた。
[xxvii]. Bernard Shaw, The Dark Lady of the Sonnets(Ma Reinhardt,,1972) p.291
[xxviii]. The Portrait of Mr. W. H.に関する引用は、Oscar Wilde, Plays, Prose, Writings and Poems (London:Everyman's Library, 1930,1991) p.321-351. 翻訳はオスカー・ワイルド『W・H氏の肖像』井村君江訳、工作舎、1989年]
[xxix]. Oscar Wilde, Plays, Prose, Writings and Poems, De Profundis (London: Everyman's Library, 1930, 1991), p.595 ]
[xxx]. Bernard Shaw, The Dark Lady of the Sonnets (Max Reinhardt,1972), p.272
[xxxi]. The Dark Lady of the Sonnets, pp.319-20.
[xxxii]. バーナード・ショウ『ショウ一幕物全集』市川又彦訳、新潮社、1922.113頁。
[xxxiii]. The Dark Lady of the Sonnets, p.304.
[xxxiv]. The Dark Lady of the Sonnets, p.322.
[xxxv]. バーナード・ショウ『ショウ一幕物全集』市川又彦訳、新潮社、1922)p.117.
[xxxvi]. Heathcliff and the Great Hunger (London: Verso,1995), p.333. ]
[xxxvii]. テリー・イーグルトン『表象のアイルランド』 鈴木聡訳、紀伊国屋書店、1997年。p.574.)
[xxxviii]. Heathcliff and the Great Hunger , p.334.
[xxxix].『表象のアイルランド』、p.576.
[xl]. Heathcliff and the Great Hunger , p.252.
[xli].『表象のアイルランド』、p.436.
