top of page

M. Butterfly と オリエンタリズム

――‘displacement’ による解釈――

                                                     森岡 稔

はじめに

 

 ここに取り上げる『エム・バタフライ』M.Butterfly(1988)という作品は、David Henry Hwang (1957~)によって作られた悲劇である1。ウォンはこの作品で初めて東洋と西洋の文化の意識的対比を試みており、プッチーニPucciniのオペラMadama Butterfly『蝶々夫人』の物語を借りて、西洋の人間が東洋に対してもつオリエンタリズムOrientalismという類型的イメージを辛辣に批判している2。作品はフラッシュバックの技法を使った複雑なもので、その技法と構成は推理劇的な効果を出すことに役立っている。

 作者のディヴィッド・ヘンリー・ウォンDavid Henry Hwangは、1957年、ロサンゼルスで中国系アメリカ人の家庭に生まれ、裕福で教養豊かな環境に育った。父親は実業界で成功し、母親はロサンゼルスのピアノ教師をした。彼はスタンフォード大学に入学してから劇作を活発に書き始める。大学4年生の時に書いた『F・O・B』は1980年にニューヨークのオフ・オフ・ブロードウェイで上演されオビー賞を受賞する。1981年には、『ダンスと鉄道』The Dance and the Railroadと『家族崇拝』Family Devotionsを矢継ぎ早に上演。彼の功績は、それまで上演されることの少なかったアジア系の演劇が日の目をみたことにある。その他にいくつか作品を残したあと、1988年、31歳のウォンは、『エム.バタフライ』M.Butterflyによってトニー賞を受賞する。それまでマージナル(周縁的)な位置にあったアジア系劇作家がセンター(中心)に登場できたことになり、おおいにアジア系劇作家たちに自信を与えた。西洋人にある東洋人に対する固定観念、すなわちオリエンタリズムを批判するM.Butterfly の出現は演劇界に大きな波紋を拡げた3。 

 M.Butterflyの内容は、時と場所によって次のように三つに区分できる。【①1988年、パリの刑務所(現在とする)②1960年から70年までの北京 ③1966年から1988年現在までのパリ】である。フランス大使館に勤務する女性にもてない外交官 ルネ・ガリマールRene Gallimardがヒーロー、中国京劇の役者でスパイのソン・リリンSong Liling がヒロインである。他の比較的重要な登場人物としては、妻のヘルガHelga、ルネの友人のマルクMarc、ソン・リリンのスパイ活動に関与する革命闘士のチン同志Comrade Chinが挙げられる。劇の骨組みは、外交官ルネが『蝶々夫人』を演ずるソン・リリンを見て、彼女(彼)に一目惚れをすることから始まり、ルネが男性のソン・リリンを女性だと思いこんで20年も一緒に暮らし、フランスの情報が中国に流れてしまう、というものである。実際にあった話をもとにウォンは想像力を加えて推理劇のように仕立てた4。ソン・リリンが男性であることを観客にさえも劇の途中まで隠されていたり、ルネが20年もどうしてそれに気づかなかったのだろうかという不可解さがあるため、劇には独特のミステリアスな雰囲気が漂う。ルネがソン・リリンが男性であることに気づかなかったのは、単にルネの目がくもっていたわけではない。人間の欲望が幻想を抱かせるために、現実を直視できなくなるという人間の性(さが)が根底にある。さらに、ソン・リリンはオリエンタリズムを背景にしたルネ・ガリマールのステレロタイプ化した見方を利用したのである5。 

 何よりもこの劇を際だたせているのは、西洋が東洋を見るときのオリエンタリズムを逆手にとる脱構築的な展開である。さらに、劇のいろいろな局面で登場人物たちが見せるdisplacementである。この用語は充分な説明を要するが、文化のみならず他者との交わりの中には異質どうしの相互作用があり、たえず相手の立場を考えながら、他者を内面化する過程が進んでいる。この論考は、M.Butterflyという作品におけるオリエンタリズム批判・脱構築性・幻想にしがみついた人間の悲劇性に注目していく。さらに、登場人物たちが主体性を確立する際、displacementがどのような役割をしているか、またそのdisplacementがオリエンタリズムを乗り越える方策になる可能性があるのかを考察していく。

 

1. オリエンタリズムとオクシデンタリズム

 

 サイードによるオリエンタリズムの定義を簡略化して言うならば、オリエンタリズムとは、西洋以外の世界を「東洋」としてひとくくりにし、「西洋」と「東洋」を二項対立的に規定するものであった。つまり、オリエンタリズムは、ヨーロッパからアジアへと向けられた視線の中で編成された特権的な言説であり、「ヨーロッパにとってのアジア」という見方である。従ってオリエンタリズム批判とは、オリエンタリズムという言説によって抑圧され歪められた見方を「東洋それ自体」に表象しなおそうという試みである。

 オリエンタリズムにおいては、オリエントを語る際に、語る主体(西洋)は語られる客体(東洋)を低い存在としてみる。西洋を特権化する帝国主義的な立場は、劣ったとみなす文化(東洋)を隷属しようとするのである。オリエンタリズムの構造を解き明かしたコロンビア大学英文学・比較文学教授エドワード・W・サイードEdward W. Said(1935-2003)は次のように語る。

 

We cannot fail to be convinced that the dialectic of self-fortification and self-confirmation by which culture achieves its hegemony over society and the State is based on a constantly practiced differentiation of itself from what it believes to be not itself. And this differentiation is frequently performed by setting the valorized culture over the Other. 6

それによって文化が社会や国家に対するヘゲモニーを達成することのできる自己強化と自己確認の弁証法は、文化が文化でないと信じているものから自らを絶えず差異化しようとする実践に基づいていることを、われわれは確信しないわけにはいかない。そしてこの差異化は、安定した価値をもつ文化を「他者」よりも上位に置くことによって達成されるのである。

 

中心に居座る文化は、安定を保つため周縁となる「他者」の文化を差異化することによって、すなわち「他者」の文化などは認めず、自らの文化を上位に見ることによって秩序を壊されまいとしている。このような非対称的な関係の中で、オリエンタリズムは形成されるのである。サイードのいうオリエンタリズムは、植民地の拡大という実質的なものばかりでなく、歴史学・言語学・人類学などの学術研究、文学・絵などの芸術にも表されている。見る側が見られる側を下位に見ることによって境界を築いてきた。植民する段階において混血で生じる雑種性に対するフォビアがことさらオリエンタリズムという言説を作り上げていった。

 非西洋側では、自己の中に西洋を内面化することが行われていくうちに、オリエンタリズムに則った形での西欧化・近代化・脱亜入欧というオクシデンタリズムが発生した。オクシデンタリズムは、西洋文化を擬態することによって取り込み、すきを見て出し抜こうとする戦略である。西洋の東洋に対する差別的視線も共有してしまうこのオクシデンタリズムは、オリエンタリズムの裏返しである。東洋において、オリエンタリズムを鮮明にすることで二項対立をうまく政治的に利用し、国内の抑圧を隠蔽することに役立ってきたという局面もあった。これは、マイノリティが差別を強調し、マジョリティに対抗する手段として被差別意識を助長してきたことに似ている。

 ある文化が他の文化を「他者」と見て差別するのは、他者が自文化に接近するときである。つまり、他者が他者のままでいるかぎりは、フォビアにはならず、他者が自己の中の何かを刺激するとき、あるいは文化アイデンティティを危機に陥らせるときにのみ、脅威を感じて差別し始める。これは、自文化の安定をはかるための防衛策にほかならない。「差異」がオリエンタリズムという西洋が東洋に対する見方を育成してきたのである。同一性を追求する普遍主義にしても、差異を強調する文化相対主義にしても同じ「差異」をめぐっての議論であるから拠って立つところは同じである。

 サイードによるオリエンタリズムが西洋からのすべての認識の仕方を代表しているとはいえない。むしろ、オリエンタリズム批判がステレオタイプないし教義になっているのではないかという主張もある7。この論考は、オリエンタリズム批判に終始することなく、差異によって形成された外部と内部という境界をどのようにして乗り越え、対話の精神を育むことができるのだろうかということをラディカルに考察するものである。

 

2. 東洋の女性

                    

 M. Butterflyの第一幕第三場の舞台は、1988年、パリの独房である。ルネが、テープレコーダーでオペラ『蝶々夫人』を流していると、ルネの友人マルクがやってきて、『蝶々夫人』のシャープレス役を演ずる。ここでは、ルネはピンカートン役である。ピンカートン役のルネは、東洋人の女性について差別的なことをいう。

 

PINKERTON: Cio-Cio-San. Her friends call her Butterfly. Sharpless, she eats out of my hand!

SHARPRESS: She's probably very hungry.

PINKERTON: Not like American girls. It’s true what they say about Oriental girls. They want to be treated bad!  (MB 6)

 

“Cio-Cio-San”というのは、いわゆる「蝶々さん」であり、Butterflyである。彼女の友達も“Cio-Cio-San”と呼んでいる。ピンカートン役のルネは、そのバタフライである彼女が、彼の手からじかに餌を食べるペットのようになついているという。アメリカ娘とはちがって、東洋の女性は噂どおり、ひどい扱いをされることが好きだという。東洋の女性を低く見ている様子が如実にうかがえる。オペラ『蝶々夫人』が持つ二項対立、すなわち西洋と東洋の支配・被支配関係がここで提示されている。M.Butterflyでは、最初はこのようにオリエンタリズムのステレオタイプが前面に出され、劇が進行するにつれ、それが突き崩されていく。ルネは、東洋人の女性を見下すことによって支配する側に立っていると幻想している。サイードは著書『オリエンタリズム』Orientalismの中で次のように言う。

 

The relationship between Occident and Orient is a relationship of power, of domination, of varying degrees of a complex hegemony,....  (OR 5)

西洋と東洋の関係は、権力・支配・さまざまな度合いの複雑なヘゲモニー関係にほかならない。

 

西洋が東洋を支配しているという潜在的意識が世界史の上に影を落としていることは否めない。サイードは、西洋が東洋を支配する権力構造と、男性的原理が女性的原理を支配するという構造とが同一であることを次のように示す。

 

Orientalism itself, furthermore, was an exclusively male province; like so many professional guilds during the modern period, it viewed itself and its subject matter with sexist blinders.... Women are usually the creatures of a male power-fantasy. They express unlimited sensuality, they are more or less stupid, and above all they are willing.  (OR 207)

現代における専門家ギルドと同様、オリエンタリズム自体は、もっぱら男性的な領域であった。オリエンタリズムは、自らに関わる問題を性差別主義者という目隠し(色眼鏡)を通して眺めるものである。オリエンタリズムにおいては、女性とは、たいてい男性的な権力幻想によってつくり出された生き物であり、女性たちは限りない官能性を表して、多かれ少なかれ愚かで、男性に喜んで従うものなのだという観念に支配されていた。

 

支配する側が男性で、支配される側が女性だという構造をオリエンタリズムは内包している。ルネが、東洋人の女性を低い位置に見ることによって自分が支配する側に立っているという幻想は、まさに女性という弱者を男性という強者が支配するという権力的な構造を背景にしている。

 ルネは、女性に対して自信がなく、青春期に鬱屈した人生を送っていた。ところが、成人してルネはソン・リリンという‘女性’を手に入れた。東洋の女性の雑誌の写真の中の女性たちも入手しやすいとルネは思っている。雑誌の女性は一方的に扱えるから、完全に意のままになる。どうしようと自由である。ルネにとって、雑誌の扇情的な写真というのは視覚的な幻想に陥りやすかった。ソン・リリンが男性であることにルネが気付かなかった原因は、一方的に自分の作り出す幻想にしがみつくことにあったのである。ルネ・ガリマールは次のように独白する。

 

(He reaches into his crate, pulls out a stack of girlie magazines, and begins flipping through them)  Quite a necessity in prison. For three or four dollars, you get seven or eight women.  I first discovered these magazines at my uncle's house. One day, as a boy of twelve. The first time I saw them in his closet...all lined up-my body shook. Not with lust-no, with power. Here were women-a shelfful-who would do exactly as I wanted.  (MB 10)

 

刑務所にいるルネは、所内にある木箱の中からヌード雑誌を取り出して、ぺらぺらとページをめくりながら思い出を語る。12歳の時、初めて叔父の家の戸棚に裸の女性たちが満載されたヌード雑誌が並べられているのを見つけて体を震わせた。3、4ドルも出せば、思いどおりになる7、8人ほどの女性を「買う」ことができる。そんな女性が棚いっぱいにいるのである。

ルネ・ガリマールは、欲望というよりも力が湧いてくるのを感じる。ルネにとって女性に対する欲情は、自分の弱さと今まで自分を相手にしてこなかった女性に対する怨念にも近いものである。したがって、ルネが欲しいのは他でもない、相手を屈服させる力、すなわち権力である。このようにルネ・ガリマールは、一方的な思慕のみで応答のある恋愛経験がない。他者がいて自分がいるという二項対立的状況の中で、他者の立場に立って、すなわち他者にも自分と同じように自我があるという意味で ‘displacement’ という用語を使用するならば、ルネはこの時点では‘displacement’をしていない。ルネは、見る対象を欲望のままこちら側だけで見ているだけで、対象の人格も考慮に入れることのできない写真が相手である。

 Oxford English Dictionary によると‘displacement’の主要な意味は、the “removal of a thing its place; putting out of place; shifting, dislocation”(814)である。ところが、現代文学批評においてdisplacementの意味は拡張されている。たとえば、コーネル大学教授のジョナサン・カラーJonathan Culler (1944-)はジャック・デリダJacques Derrida(1930-2004)の脱構築理論をOn Deconstruction(脱構築)において次のように説明している。

 

Deconstruction must, Derrida continues, 'through a double gesture, a double science, a double writing, put into practice a reversal of the classical opposition and a general displacement of the system.  It is on that condition alone that deconstruction will provide the means of intervening in the field of oppositions it criticizes and which is also a field of non-discursive forces'.... (Culler 85-6)  8

       -----------

To deconstruct an opposition is to undo and displace it, to situate it differently. (Culler 150, emphasis mine)

デリダはまた脱構築は、「二重の身振り、二重の学問、二重の書き方によって古典的な対立の逆転を実践するばかりではなく。それとともに、古典的なシステムをずらさなければならない。この条件がみたされてはじめて、脱構築はみずからの批判する二項対立の場に、同時に非言説的な諸力の場でもある対立の場に介入する手段を提供することになるだろう」

------------

ある対立を脱構築するとは、それを解きほぐし、その位置をずらし、別の形で定位するということである。

 

脱構築とは、二項対立するものが単に入れ替わることをさすことがあれば、境界そのものがなくなる場合もある。要するに二項対立の解消であり、対象の内面化である。ルネは、今のところ、欲望の対象をつくることがあっても対象に身を置き換えて人格の交歓をするような相互行為をしていない。

 

3. マダム・バタフライのソン・リリン

 

 第一幕第六場は1960年、北京のドイツ大使の家でソン・リリンが『蝶々夫人』の懐剣を出して、「名誉ある死の方がいい、不名誉に生きるより」と死の場面を歌っているところから始まる。ルネはソン・リリンの優雅でデリケートな感じのバタフライの演技に魅了される。ソン・リリンとルネ・ガリマールはオペラが終わったあとに話す機会ができる。ソンの演技がメークを含めて真実味があるとルネが言うと、ソンは意外なことを言う。

 

GALLIMARD: Absolutely. You were utterly convincing. It's the first time―SONG: Convincing? As a Japanese woman? The Japanese used hundreds of    our people for medical experiments during the war, you know. But I     gather such an irony is lost on you.

       GALLIMARD: No! I was about to say, it's the first time I've seen the beauty of the story.

       SONG: Really?   (MB 16-17)

 

ソン・リリンの演技が迫真にせまる本物の演技だったというルネに対して、ソン・リリンは、日本人の女として信じこませてしまったことを不本意に思う。ソン・リリンによると、日本人が第二次世界大戦中に同胞である中国人を何百人と人体実験したので、(演技が)日本人のようであったなどとほめられても、皮肉に感じられるという。それを聞いてルネは守勢に回って、自分が言った意味は、物語の「美しさ」を感じたということだと言い直す。すなわちルネは、蝶々さんの自己犠牲に胸を打たれたのであるというのである。するとソン・リリンは、さらに畳み込んで、従順な東洋の女と残酷な白人の男の物語がそんなに美しいのかと反論する。

 

Consider it this way: what would you say if a blonde homecoming queen fell in love with a short Japanese businessman? He treats her cruelly, then goes home for three years, during which time she prays to his picture and turns down marriage from a young Kennedy. Then, when she learns he has remarried, she kills herself. Now, I believe you would consider this girl to be a deranged idiot, correct? But because it's an Oriental who kills herself for a Westerner-ah!-you find it beautiful.  (MB 17)

次のように考えるとしましょう:もし、ブロンドのミス学園祭が、ちびの日本人ビジネスマンに恋をして、そののち娘を冷たく扱い、日本人ビジネスマンが帰国してしまい、3年がたったとする。その3年間のあいだ、娘は彼の写真に向かって、彼がもどってくることを祈り、その間に持ち上がったケネディ家の息子との縁談もことわる。やがて日本人ビジネスマンが他の女性と日本で結婚したことがわかって自殺するとすれば、そんな娘は気が変になった馬鹿に思えるでしょう。しかし、西洋人のために自殺する東洋人の女性であれば、それを美しいと思うのでしょうね。

 

ソン・リリンはルネを含めた西洋人のオリエンタリズムを批判しようと、まさにオペラ『蝶々夫人』のオリエンタリズムの構造にしたがい、人種だけを置き換えて『蝶々夫人』を脱構築したのである。これは、人種の位置を交換したdisplacementであり、二つの項を入れ替えることによって意味がまるで変わってくる典型である。ルネは東洋の女性に、そんな論理で逆ねじを食らわされることを思ってもみなかったので、非常にとまどう。東洋の、それも女性が論理的であることは西洋人のステレオタイプの考え方では想像もつかないのである。ルネは、西洋人の東洋に対する見方を代表していると言える。人種をdisplacement することによって、オリエンタリズムによる非対称的な権力の位置関係が浮き彫りになった。

サイードは、西洋人の自民族中心主義の思考形態を次のように説明している。

    

It is therefore correct that every European, in what he could say about the Orient, was consequently a racist, an imperialist, and almost totally ethnocentric.  (OR 204) 

すべてのヨーロッパ人は、オリエントについて言うときは、 必然的に人種差別的であり、帝国主義的であり、ほとんどまったくと言っていいほど、自民族中心主義者であった。「すべてのヨーロッパ人」が自民族中心主義者であるといっても言いすぎではないのである。このようなステレオタイプの見方は生まれ育った環境から教えられるプログラムであり、知らないうちにインプットされるものである。

 

「すべてのヨーロッパ人が自民族中心主義者である」というのは言い過ぎであろうが、知らないうちにオリエンタリズムを身につけてしまうのは、まさに環境が人をつくるのであって、ルネ・ガリマールが東洋の女性にステレオタイプの女性観をいだいたとしても無理はない。

 

4. 東洋人

 

サイードは、西洋人は東洋人を低く見ているがために、東洋人を弱い立場のものになぞらえるという。

 

Along with all other peoples variously designated as backward, degenerate, uncivilized, and retarded, the Orientals were viewed in a framework constructed out of biological determinism and moral-political admonishment. The Oriental was linked thus to elements in Western society (delinquents, the insane, women, the poor) having in common an identity best described as lamentably alien. (OR 207)

東洋人は、後進的、退行的、非文明的、停滞的など、いろいろな言い方で呼ばれる他の民族の場合と同じように、生物学的決定論と倫理的・政治的教訓からなる枠組のなかに置かれてながめられた。したがって東洋人は嘆かわしい異邦人という表現がもっともふさわしいようなアイデンティティーを共有する西洋社会のなかの諸要素(犯罪者、狂人、女、貧乏人)に結びつけられたのである。

 

サイードは、著書『オリエンタリズム』Orientalismにおいて、オリエンタリズムのもつ人種差別的要素を明らかにした。M.Butterflyの物語の前半部分において、ルネは、女性を周縁的存在として劣等的にみなし、さらに「女性は論理的思考形態は苦手である」というオリエンタリズム的先入観を持っていた。ソン・リリンはいち早くルネのオリエンタリズム的考えに気付き、人種的、性的な差別という点からオリエンタリズムを脱構築して揶揄したのである。

  第一幕第七場は、1960年北京のルネのアパートが舞台である。ソン・リリンの態度に少し腹をたてていたルネは妻のヘルガに中国人が傲慢であることを言う。

 

GALLIMARD: I walk around here, all I hear every day, everywhere is how old this culture is. The fact that “old” may be synonymous with “senile” doesn't occur to them.

HELGA: You're not going to change them. “East is east, west is west, and...” whatever that guy said.  (MB 18)

 

ルネ・ガリマールによると、中国では、どこへ行っても、中国文化は大昔からあるということを毎日のように聞かされるが、それは「もうろくした」という意味と同じかもしれないという考えが中国人には思いつかない。ヘルガも中国人は変わりようがないという。旧来の「東は東、西は西」という世界をわけもなく分別するやり方に、実はオリエンタリズムが潜んでいることにヘルガもルネも気づかない。差別的な分別をしたままの態度では、displacementの入り込む余地はない。サイードは、著書Orientalismの中で次のように述べている。

 

Theses of Oriental backwardness, degeneracy, and inequality with the West most easily associated themselves early in the nineteenth century with ideas about the biological bases of racial inequality....Thus the whole question of imperialism, as it was debated in the late nineteenth century by pro-imperialists and anti-imperialists alike, carried forward the binary typology of advanced and backward (or subject) races, cultures, and societies. (OR 206)

オリエントの後進性と退行性、西洋との不平等といった命題は、19世紀初頭における人種差別の生物学的根拠となる諸観念と簡単に結びついた。19世紀後半、親帝国主義者によっても反帝国主義者によっても議論された帝国主義の問題全体が、人種、文化、社会を先進的なものと後進的な、つまり従属的なものに分類する二項式の類型学を推し進めた。

 

 東洋を劣ったものであるとする見方は、東洋と西洋と言った瞬間に、先進的と後進的な二項分類をしているわけである。それは、帝国主義者であろうとなかろうとすでに定まった考え方であったのである。「東は東、西は西」という固定した考え方は、「非文明的」な国を先進的な国が併合したり占領したりすることを当然とする傾向が西洋社会にコンセンサスとしてあったことを示している。「東は東、西は西」という言葉の中には、西洋人が東洋文化を理解しようという態度を最初から放棄し、東洋を劣ったものとして固定して支配する戦略がある。

 伝統や文化を科学の発達という尺度で測る考え方は、伝統や文化について狭い見解しかもたらさない。つまり、文化の発達度は、科学の発達だけでは推し量れないはずなのに、それを根拠に東洋を低く見るという誤謬がオリエンタリズムにはある。裏返して考えれば、オリエンタリズムを抱く者は、自分たちが理解できないものは劣っていると断定しなければ、実際は心の奥底で感じている、得体のしれない東洋への恐怖を追い払うことができない。

 ルネは、自分たちが中国語を上手く話せないのを棚にあげる一方で、ソン・リリンがオペラをイタリア語でやったり、日常会話でのフランス語がうまかったことに感心したりする。ルネが、出会ったころのソン・リリンの態度が傲慢だと感じたのは、中国人が劣っているはずなのに、また女性なのに、対等の話し方をするのはおかしいという西洋中心・男性優位の思考形態が背景にあるからである。

 

5. エキゾティシズム

 

 第一幕第八場は、1960年北京の街の京劇の劇場である。ルネ・ガリマールは、ソン・リリンに誘われてから4週間も経って京劇を観にきた。彼は、まず最初に劇場の醜悪さに露骨な嫌悪感を見せる。

 

The room was hot, and full of smoke. Wrinkled faces, old women, teeth missing-a man with a growth on his neck, like a human toad. All smiling, pipes falling from their mouths, cracking nuts between their teeth, a live chicken pecking at my foot-all looking, screaming, gawking...at her. (MB 20)

 

ルネが京劇の劇場に見た光景は、乱雑で気持ちの悪いものである。暑い会場の中は煙がたちこめ、婆さんのしわくちゃの顔、顔,顔。歯が抜けて、首にこぶがあり、まるでヒキガエルのような男。皆笑い顔を浮かべており、だらしない口からは煙管が落ちそうになっている。ナッツをバリバリと噛み砕いている人もいれば、足を突いているニワトリもいる。そんな状況の中で、皆はソン・リリンに叫んだり見とれていたりしている。ルネは、まさに西洋人の目からアジアを見ている。中国人にとっては、今取り上げた描写は、取り立てて言うほどのことはない。西洋人の目から東洋人を外部から見ると、このようなことが目につくのである。エキゾティシズムが2通りあるとすると、まずフリーク的なものに嫌悪感をもつことがひとつ。もう一つは、自文化とは異なる点に興味をもって賛美すること。ある文化が異文化との境界に立つときdisplacementが起こり、このエキゾティシズムの瞬間があるのだが、ルネが前者の嫌悪感に包まれていることはいうまでもない。

 京劇の劇場にいるルネは、白人であるがゆえに客席にいて目立っている。ソン・リリンが、ルネに京劇を観に来るのに4週間もかかったことの理由を尋ねると、忙しかったと単純に答える。ソン・リリンは京劇の劇場がくさいのでルネに外へ出ようと誘う。次のセリフには、ソン・リリンが中国人からはみ出した存在であることが示されている。

 

SONG: It stinks in here. Let's go.

GALLIMARD: These are the smells of your loyal fans.

SONG: I love then for being my fans, I hate the smelll they leave behind. I too can distance myself from my people. (She looks around, then whispers in his ear) “Art for the masses”is a shitty excuse to keep artists poor. (She pops a cigarette in her mouth) Be a gentleman, will you? And light my cigarette. (MB 21)

 

ソン・リリンは、自分を観に来た中国人の客たちが臭いという。自分の同胞を客観視し、距離をおくことができるのは、ソン・リリンが西洋の教育を受けたからである。また、ソン・リリンは、暗に当時の中国の政治体制が芸術を大衆に奉仕させるためだけにあったことを批判している。西洋の教育を受けたものは、ソン・リリンのようにオリエンタリズムの考え方に知らず知らずのうちに絡めとられてしまうことがある。したがって、ソン・リリンがルネに煙草に火をつけさせるところや、ことあとのセリフで「ちいさくてもくつろげるカフェがあったらいいのに。カプチーノ、タキシード姿の男たち、下手くそな国籍不明のジャズ」“How I wish there were even a tiny cafe to sit in. With cappuccinos, and men in tuxedos and bad expatriate jazz.”(MB 21)といった中国にはないものを並べたてるところなどは、一種の西洋文化に対するあこがれと迎合のオクシデンタリズムである。ソン・リリンは、京劇が本来の中国文化だと自負しているわりには、西洋かぶれしている。ソン・リリンもやはり中国人から遊離した周縁的存在なのである。しかし、ソン・リリンが西洋のあこがれを述べるのはルネに西洋人としての優越感を与え、ソン・リリンを支配できると思わせることに役立っている。

 

6. DeconstructionとDisplacement

 

 ルネとソン・リリンの関係は、オリエンタリズムとディコンストラクションの格好の説明材料となる。ルネは、アジアの光景をオリエンタリズムという固定観念でもって嫌悪している。まさにその固定観念という頑迷さがオリエンタリズムに弱点となって胚胎する。その固定観念を突き崩し、解体する可能性こそが脱構築の役割である。オリエンタリズムという固定観念に鉄槌をくだす衝撃を、M.Butterflyという劇はもっている。現代思想家クリストファー・ノリスChristopher Norrisは、著書 『ディコンストラクション』Deconstruction の中で、次のように脱構築の定義を行っている。

 

Deconstruction is avowedly ‘post-structuralist' in its refusal to accept the idea of structure as in any sense given or objectively 'there' in a text. Above all, it questions the assumption that structures of meaning correspond to some deep-laid mental 'set' or pattern of mind which determines the limits of intelligibility. 9 

脱構築は、テクストの内部に構造が何らかの意味で与えられているとか、客観的にそこに存在しているとかいう考え方を拒絶するから、「ポスト構造主義」と呼ばれる。脱構築は、意味の構造が理解の限界を決定する何らかの深層の精神的傾向や型に応じるという仮定を疑うという。

 

脱構築は固定した構造を認めない。オリエンタリズムとの関連でいうと、西洋と東洋といった固定した構造の枠組みが「理解の限界を決定する精神的傾向や型」にあたる。その枠組に依拠し続ける限り、自由な考え方は束縛されてしまう。したがって、オリエンタリズムのような思考を限定する拘束を認めない脱構築的自由性は、M.Butterflyに糾弾するエネルギーを与えており、オリエンタリズムという重い題材を扱いながらも劇を活気のあるものにしている。

 中心が周縁に追いやったものから批判を受け、中心がもともと内包する矛盾を周縁が突くことがディコンストラクションのもつ意義である。ノリスが、「その[西洋の]伝統に属するあらゆるテクストは、それ自体の内部に脱構築的な読みを受ける破壊的ポテンシャルを持っている」“[e]very text belonging to that [Western] tradition bears within itself the destructive potential of a deconstructive reading.”(DE 48) と言うように、固定した構造は、否定し排除してきた周縁から脱構築を迫られるのである。

 中心が中心であり続けるのは、周縁に追いやった他者に依存しているからである。しかしながら周縁が、いくら破壊的ポテンシャルをもっているにしても起爆剤が必要である。それはとりもなおさずdisplacementである。displacement することによって矛盾は暴露され、中心は急速に権威を失っていくのである。

 カリフォルニア大学教授トリン・T・ミンハTrinh T. Minh-ha (1952-)はWhen The Moon Waxes Red: Representation, Gender, and Cultural Politicsの中でdisplacementの役割を次のように記述している。

     

The margins, our sites of survival, become our fighting grounds and their site for pilgrimage. Thus, while we turn around and reclaim them as our exclusive territory, they happily approve, for the divisions between margin and center should be preserved, and as clearly demarcated as possible, if the two positions are to remain intact in their power relations. Without a certain work of displacement, again, the margins can easily recomfort the center in its goodwill and liberalism; strategies of reversal thereby meet with their own limits....By displacing, it never allows this classifying world to exert its classificatory power without returning it to its own ethnocentric classifications.   (Minh-ha, 17) 10

        ----------------------

Displacement involves the invention of new forms of subjectivities, of pleasures, of intensities, of relationships, which also implies the continuous renewal of a critical work that looks carefully and intensively at the very system of values to which one refers in fabricating the tools of resistance.

(Minh-ha 19, emphasis mine)

周縁は、かつては私たちの生き残りのための場所であった土地が、今では私たちの戦いの地となり、彼らの巡礼の地ともなっている。それゆえ私たちが後ろを振り返り、そうした周縁を自分たちのものとして取り戻そうとすると、彼らは喜んでそれを許可する。周縁と中心の力関係を現状のままに保つ必要があるときには、できるかぎりその区分を明確にしておかなければならないからだ。ここでもある種の置き換えの働きがなければ、周縁は中心の善意とリベラリズムを容易に増長させてしまうことだろう。かくして、逆転戦略は限界に直面する。・・・displacementをおこなうことによって分類を推し進めるこの世界が、分類を行使するたびに、それ自体が依拠する自民族中心主義的な分類法を思い出さずにはいられなくなる。

-------------------------------

Displacementは、新しいかたちの主体性、快楽、強度、関係を生み出す。つまり、抵抗の道具を作り出す過程で、参照すべき価値体系そのものを集中的に注意深く検討するという批判的な営みを活性化するのである。絶えず新しいものにしていくことを意味しているのである。

 

 Displacementは継続的に中心の動きを批判的に監視する役割を果たしている。周縁が自分たちの陣地を確保するのを中心が気前よく認めるのは、中心がそれをいいことに周縁が中心に入り込まないよう区画整理をしてしまっているのである。このようにDisplacementの存在意義は、displacementすることによって両側の立場に立ち、絶えず中心と周縁を二分区画する動きに目を光らせることにある。

ここでM.Butterflyという作品において、ソン・リリンに代表されるようなオリエンタリズム批判者が、実はオリエンタリズム批判という固定観念に縛られていることを示していることに注意したい。すなわちこの作品は、オリエンタリズム批判をきわめて明確に打ち出しているため、ソン・リリンをはじめ反オリエンタリズムという教条主義にわざとおちいっているように見せかけている。ところが実際は、のちにオリエンタリズムの反省のもとに、ルネ・ガリマールは中心(西洋)と周縁(東洋)の境界、自我と他者の境界の上に立ち、displacementを経験している。したがって、敗北したかに見えるルネ・ガリマールの方が、だました方のソン・リリンよりも立派に見えるのはそのためである。この劇の複雑で重要なところは、ルネがdisplacementを経験することによって二項対立の彼岸に達したことにあり、最後にルネが自刃していく理由を、オリエンタリズムをしていたルネがその罪のために罰せられたことに帰するのは、皮相的な見方である。彼はdisplacementによって得た初めての真実の愛を幻想とわかりつつも、それを抱きながら死んでいくのである。

 第一幕第十場は、1960年、ソン・リリンのアパートが舞台である。京劇を何回も観続けたルネは、ついにソン・リリンのアパートに招かれる。ソン・リリンの家柄のよさを知ってルネはかしこまった態度になる。そんなルネに対し、ソン・リリンはもてなしに満足してもらえるようにルネに気遣う。まさに東洋の女性の物腰である。これは、スパイ活動をうまく運ぶための演技であるのだが、初めて恋愛らしい恋愛を覚えたルネには、その演技が見抜けない。ソン・リリンは、白人の女性のように美しくもなく、現代風に振る舞えないので、たえずびくびくしているといった演技を続ける。二人が会ったばかりのころは、ソン・リリンは傲慢であった。ところが、今のソン・リリンは慎み深い「バタフライ」になっている。ソン・リリンの庇護を乞うような弱々しさを見せられたルネは、男としての力が湧くのを感じている。

 

GALLIMARD: To us [audience]: Did you hear the way she talked about Western women? Much differently than the first night. She does-she feels inferior to them-and to me.  (MB 31)

 

ルネ・ガリマールによると、白人女性に対して侮蔑的な言動を見せていたソン・リリンが、今では白人女性に対して劣等感を持っているような言い方をしている。ルネは、観客に向かって「彼女が西洋の女について言ったことを聞きましたか。最初の夜とはかなり違っています。彼女は確かに西洋の女に劣ると思っています。・・・そして私にも」と言う。ルネは、ソン・リリンが見せる東洋の女性の慎み深さやたおやかさにすっかり魅了されてしまっている。相手が劣等感を持つことで自動的に自分が高い位置に上り、自分の男としての力が確認されるという権力の構図が明らかとなる。それは、オリエンタリズムの構造にそのままあてはまる。サイードのOrientalismを見てみよう。

 

So Orientalism aided and was aided by general cultural pressures that tended to make more rigid the sense of difference between the European and Asiatic parts of the world. My contention is that Orientalism is fundamentally a political doctrine willed over the Orient because the Orient was weaker than the West, which elided the Orient's difference with its weakness.  (OR 204)

オリエンタリズムは、ヨーロッパとアジアという世界の二つの部分の差異感覚をもっと硬直化させるように文化圧力を加えてきた。オリエンタリズムとは、オリエントにおしつけられた本質的に政治的な教義なのであり、オリエントが西洋より弱かったために、オリエントの異質性をその弱さにつけこんで無視しようとするものであった。

 

 これがサイードの主張の要点である。本来は、西洋はその異質な点、理解不可能な部分に恐怖しているのであるが、弱い部分から入り込んですべてを支配してしまう。文化の落差が、そのままルネとソン・リリンの関係に影響している。西洋人にとって、まちがっても、東洋が西洋より上位を占めてはならない。傲慢だったソン・リリンがへりくだることによって、ルネの男性としてのプライドは満たされたし、彼のオリエンタリズムも満たされた。ルネのソン・リリンを理解しえたという満足感は、オリエンタリズムの完成であるとともに、裏返せば、displacementの始まりである。ルネは、それまではソン・リリンを対象として眺めていただけである。ところがソン・リリンが弱みをみせたので、その弱みにつけこんだと思っている。ところが、単に外面的な見方から、その弱みを発見したと思った瞬間に、相互関係・相互理解が始まっているのである。すなわち、ルネは他者を理解しようとして胸襟を開いてしまったのである。

 

7. ソン・リリンへの思慕

 

 ルネは、勝手な思い込みによって、自分で作り上げたオリエンタリズムに酔っている。ルネが、ピンカートンとバタフライの関係に自分とソン・リリンの関係を投影したのも、オリエンタリズムというステレオタイプに自分をあてはめたからである。Displacementを起こし始めたものの、彼の恋愛はまだ、雑誌の写真の女性たちに寄せたひとりよがりの恋愛関係に近く、本当の恋愛関係には至っていない。

 第二幕第六場で、久しぶりにソン・リリンのところを訪れたルネは、裸のソン・リリンが見たいという。裸になればソン・リリンが男であることがわかってしまうが、ソン・リリンは決意してルネの求めに応じようとする。ソン・リリンが応じるとわかると、逆にルネは、それをやっぱりやめさせようという気持ちがわき起こる。

 

Did I not undress her because I knew, somewhere deep down, what I would find? Perhaps. Happiness is so rare that our mind can turn somersaults to protect it. At that time, I only knew that I was seeing Pinkerton stalking towards his Butterfly, ready to reward her love with his lecherous hands. The image sickened me, pulled me to my knees, so I was crawling towards her like worm. By the time I reached her, Pinkerton...had vanished from my heart. To be replaced by something new, something unnatural, that flew in the face of all I'd learned in the world-something very close to love.  (MB 60)

 

ルネは、結局ソン・リリンの服を脱がせようとはしなかった。何を見るかは心のどこか深いところでうすうすわかっていたのであろう。幸福とはあまり稀なので、せっかく得た幸福をあえてこわすことはないとルネは思った。この場合の幸福とは、あくまでファンタジーへの欲望である。現実にある真実よりもファンタジーの中にある秘密めいた真実に対する興味と憧れがルネの幸福を支えている。ルネに限らず、人間は幸福を守るためなら、常識をくつがえすような行動をも取るのである11。「裸を見せろ」などとソン・リリンに迫るのは、ピンカートンが純粋なバタフライの愛にみだらな手で報いるようなもので、彼女の愛を踏みにじろうとしていることになる、とルネは思う。ルネは、自分の醜い姿を想像し、気分が悪くなって膝をつく。ルネは、芋虫のように彼女の方へ這って、彼女のところにたどり着くころは、もうピンカートンのような気持ちは失せた。その代わりに何か新しくて不自然なもの、世間から学んだものはどうでもよくなって、「何か愛に近いようなもの」を強く感じたのである。“something very close to love” とルネが言ったのは、ルネは愛というものを知らないし、愛がどんな形かもわからないから、「何か愛に近いようなもの」と言うしか仕方がないのである。世間から学んだものはお仕着せの常識であり、本当の愛にはマニュアルは存在しない。ここでは、ルネのソン・リリンに対する愛が、かけひきのないものに昇華しているようすが表れている。この劇において、とても美しい場面であり、ルネの弱さというよりも、なりふりかまわずに真実の愛を追求するルネのけなげさが描き出されている。

Displacementがまさにここで発現している。相手の存在を認め、他者を内面化して理解しようと努力する。これが愛という相互行為であり、displacementの一つの型である。自分と他者との越境であり、他者との交流で自我が流動する。対象を対象のままで放置していた静止状況から自我を解放し他者に働きかけている。相互理解の可能性をさぐっている。自我は変容し、自他の区別が攪乱されていく。ところが、ソン・リリンの方は、スパイのために愛の演技をしているわけであるから、ルネが心を開いた分だけ、ルネの悲劇性は増していくのである。

 

8. オリエンタリズムの解体

 

 第三幕の第一場は、1986年パリの裁判所が舞台である。ソン・リリンは、1970年にパリに着いてから15年間、再び俳優として舞台活動をしながら、いつわりのルネの子供と一緒に暮らしている。ルネは外交秘密文書を運ぶ仕事についているので、ソン・リリンはスパイ活動もすることもできた。ところが、そのスパイ活動が発覚し、今は裁判を受けている。裁判官が聞くことはまず、機密文書の漏洩ということにルネは気づいていたのかということであった。ソン・リリンは、どうとも言えないとあいまいな返事をする。次に、ルネがそんなに長い間ソン・リリンが男であることにどうして気づかなかったかを問う。ソン・リリンは、ルネが1度も自分の裸を見たことがないこと、女を演技することが自分にとっての仕事だと答える。ルネがだまされた理由を次のように説明する。

 

①男は自分が聞きたいと思っていることは信じるということ。つまり自尊心をくすぐれば、男をだますことができる。

②西洋は東洋に対して国際的な強姦者の理論みたいなものをもっている。

 

とくに②については、オリエンタリズムに符合する部分が多いので興味深い。ソン・リリンは具体的には次のような供述をしている。

 

JUDGE: Give us your definition, please.

SONG: Basically, “Her mouth says no, but her eyes say yes.” The West thinks if itself as masculine-big guns, big industry, big money-so the East is feminine-weak, delicate, poor...but good at art, and full of inscrutable wisdom-the feminine mystique. Her mouth says no, but her eyes say yes. The West believes the East, deep down, wants to be dominated-because a woman can't think for herself.   (MB83)

 

「強姦者の理論」という言葉を聞いて不思議に思った裁判官が「強姦者の理論」についての定義をルネに尋ねると、“Her mouth says no, but her eyes say yes.” 「強姦者の理論」の定義というのは「彼女は口ではノーというが、目はイエスと言っている」というものだという。西洋が、力にまかせて強姦するかのように東洋にいうことを聞かせ、手なづけるという一義的な意味があり、二義的には、東洋は内心では支配されたがっているということを意味しているのである。さらに、ソン・リリンは、西洋は自分のことを男、東洋を女だと思っていることを挙げる。なぜかというと、西洋は大砲や大規模産業、大資本をもっているが、東洋は弱くデリケートで貧しい。しかし、東洋は芸術には秀でており、女性の神秘性のような不可解な知恵をもっている。ソン・リリンの“Her mouth says no, but her eyes say yes.”という言葉は、東洋が心の奥では有力な西洋に支配されたがっていると西洋が勝手に思いこんでいるオリエンタリズムを如実に示しているといえる。

 

9. 幻想と現実

 

 第三幕第二場は、第一場と同じ舞台である。ルネとソン・リリンが対面する場面であり、ルネにとって地獄のような時間である。ソン・リリンは、二人の出会いからのことをルネに思い出させてつらい思いにさせる。ソン・リリンは裸になって自分が男であることを見せつけ、徹底的にルネを痛めつけようとする。ルネはソン・リリンが頭の中だけの存在だったことをやっと認める。そして、ソン・リリンがまったくの裸になると、意外にもルネは笑い始める。ソン・リリンがルネになぜ笑うのかと尋ねると、20年間の時間の浪費が我ながら滑稽に思えてきたという。笑うルネ・ガリマールに今度はソン・リリンが当惑する。ひっこみのつかなくなったソン・リリンは、もう一度、女性の役柄を演じながらルネにまとわりつく。肉体的な女性を感じさせるためである。ソン・リリンは、ルネにまだ愛していると言わせることで自尊心を満足させたい。だがすでに、ルネは現実と幻想を区別し始めており、目の前にいるソン・リリンを邪魔者扱いする。

 

GALLIMARD: Get away from me! I've finally learned to tell fantasy from reality. And, knowing the difference, I choose fantasy.

SONG: I'm your fantasy!

GALLIMARD: You? You're as real as hamburger. Now get out! I have a date with my Butterfly and I don't want your body polluting the room!

(He tosses Song's suit at him) look at these -you dress like a pimp.  (MB 90)

 

ルネをいじめていたはずのソン・リリンが、ルネに邪険にされ、「あっちへ行け」と言われている。ルネは、やっと幻想と現実の区別ができるようになったので、ソン・リリンのからかいがもう無効であることを宣言する。そして、ルネはその区別ができるようになったあとで、改めて自分が作った幻想を選ぶことを決意する。ソン・リリンは、自分が幻想的な存在としてまだ見られていると勘違いしているが、ルネはソン・リリンをハンバーガー並の現実だとこきおろす。もう現実のソン・リリンはルネにとって価値のないものであり、ありふれた現実は何の感興をも起こさない。ソン・リリンが着ていたアルマーニの服でさえ、ポン引き(a pimp)のような服だと軽蔑しながら、ルネはソン・リリンに向かって服を投げつける。幻想から覚めたものは、みすぼらしい単なる「物」でしかありえない。ルネが愛していたのは想像上のソン・リリンである。一方、無価値だと言われプライドを傷つけられた現実のソン・リリンは、自分の存在意義を見失ってしまう。いきなりソン・リリンが物体化したのはルネがソン・リリンに対して自分と同じような人格を認めなくなったからである。自らの人格が相手にも同じようにあるという、displacementが完全に途絶えたのである。

 第三幕第三場の舞台は、1988年、第一幕第一場と同じ舞台で、パリのルネの独房である。ルネは幻想の世界に生きてきたこと、イメージの中で生きるあまり、イメージそのものが自分の人生になってしまったことを告白する。愛を信じて裏切られたという絶望にもとらわれている。人生でたった一度のdisplacementが長い期間、存在していたと思っていた。幻想的な愛ではあったが、ルネにとってはそれが真実であった。ソン・リリンがバタフライであると思っていたら、実はバタフライは自分であることにルネはようやく気がついた。つまり、バタフライという「もの」でしかなかったのである。そこで、バタフライという「もの」、つまり対象物としてしか生きることのなくなったルネは、displacementに到達した人間として自己完結するために「名誉ある死の方がいい。不名誉に生きるより」(“Death with honor is better than life.”)と言いながら懐剣を体に差し込むのである。Displacementによりバタフライを内面化していたルネは、バタフライを自己のものとしていた。幻想ではあるが、バタフライと自分は一体化している。幻想はルネにとっては現実であったのである。Displacementによって自我が変容し、自我と他者、現実と幻想、生と死といった二項対立の境界が消滅していた。Displacementを通じて相互理解をした真実の愛を知る人間として、自己完結していくのである。ソン・リリンはそれを理解できずに煙草をすいながら、相変わらず「バタフライ?バタフライ?」というセリフを言う。つまり、ソン・リリンは、オリエンタリズムを批判しながらも、その構造から一歩も出ることができずに、固定観念に縛られており、ルネの境地が分からない。だから、「バタフライ?バタフライ?」と言うことしかできないのである。バタフライは一方的に差別的に見る「もの」としての呼称である。

 

10. Displacementの効用

 

 ルネがソン・リリンに対して起こしたdisplacement(転移・転位・転置)は、アイデンティティが流動していく端緒であった12。 Displacementは、文化的境界や自他の境界を横断しながら、他者と自己を同時に見つめることである13。Displacementによる他者との出会いが、エキゾティシズムだけでなく想像力や詩的認識を喚起する。その異文化の体験が文学を成り立たせているひとつの条件にもなっている。Displacementにおいて、他者を理解するということは、自分以外の人間の存在を認めることになり、自己の内面に他者を見いだすことにつながる。これは、自己に対して、外部からまなざしをおくることによって、内面を相対化すること、すなわち自らの立場と視線を相対化することに他ならない。自我と他者が融合したり同化したりという現象が見られるのは、自我という主体の認識に変化や流動化が起こった結果である。それは、異質性と多様性の認識の道を拓く。空間的な移動にしろ、心理的な移動にしろ、あるいは文化的な移動にしても、未知なるもの、異質なるものに出会うことは文化を比較的・相対的にみることを促すのである。

 Displacementすることは、定住することなく社会を動き、自由に越境して自らの生きている社会を冷静に見据え、変革する行動をもたらす。固定よりも移動、同質よりも異質性・多様性を好む。Displacementが脱中心化・相対化をもたらすのは、いうまでもなく、異質なもの多様なものに出会うからである。Displacementは、他者と出会ったときに、お互いの異質性を認め合うことの可能性を追求する契機となるのである。未知なるものを発見し異質なものと接触しながら、新たな自我を展開していく。すなわちこれまでの認識を一変するような自己変容をとげることがdisplacementの効用である。もちろん、登場人物たちはdisplacement の際には、慣れ親しんだ基盤をいったん失うために不安定な状態となる。アイデンティティを解体させ、流動化させて新しいアイデンティティを確立していくことで、危機的な状況に自分をおいやることもある。それは、習慣化した価値観をくずして新たな価値観を形成するためである。

 Displacementによって自他を越境することは新しい価値観の視座を与えてくれるものである。また、自我の流動化が積極的な対話の姿勢を生み出す。硬直した閉塞状況を打開するdisplacementの働きはいろいろな局面で大きく要請されるであろう。すなわち、Displacementによって蓄積された知は、多文化社会における、異民族間の話し合い、ポストコロニアル的状況、脱オリエンタリズム、他者との交流など、活躍する場はいくらでもある。

 境界を自由に横断することは、世界にネットワークを形成し、関係性をつくることにつながる。自我を流動化し、新しいアイデンティティを形成することは、決して自我の個別性を失うことではなく、新しいコミュニティーのあり方への導入口となりえるのである。David Henry Hwangが描くようなマイノリティ文学の主人公たちは、自分の居場所と生き方を求めて周縁部をさまよい歩いた。一つの場所に停滞することなく周縁の場所と人間の間を移動し続ける。そして自らのアイデンティティを形成していくのである。移動することによって「内なる他者」を見いだし自己発見をしていく。越境をつづけながら外部からのまなざし、疎外の状況で自己の内部を相対化していくことが自己形成の契機を与えるのである。

 Displacementは、たえず自らを周縁的存在に置き移動しつづけ、他者の立場から内面を相対化し成長していくことである。その時の自己の中身は、内部でもあり外部でもある。それは、自らが支配権を握るために他者をステレオタイプとして固定的に押しつける植民地主義・帝国主義とは対蹠的なものである。Displacementによって成長すると他者との相互関係も生まれるため、多様性を受け入れることにもなる。さらにdisplacementによって自己変容をする際に自己の見方の「位相」が上げることを期待したい。すなわち、越境することは、視野を都市から州へ、州から国へ、国から世界へと位相を上げることによって他者を包括する輪が拡がっていくからである。位相をあげることによってアイデンティティーは、多元文化的な質的向上に向かう。自分とは異なるいろいろな他者と遭遇し、その差異によって生み出される摩擦や葛藤をむしろプラスのエネルギーに変えることで成長していくことができる。

 

11. 故郷の喪失

 

 Displacementによって自己はハイブリッドでありかつディアスポラの状況に置かれるのである。それは、すなわち境界上に主体をもってくることである。ルネは明らかにこの境界上に立っていた。ハーヴァード大学教授Homi K. Bhabha(1949年-)は、displacementとの関連から、著書The location of Cultureにおいてアイデンティティが、境界で、つまり彼の言う「中間地点」の空間で形成されることを言っている。

 

These 'in between' spaces provide the terrain for elaborating strategies of selfhood- singular or communal-that initiate new signs of identity, and innovative sites of collaboration, and contestation, in the act of defining the idea of society itself.  It is in the emergence of the interstices-the overlap and displacement of domains of difference-that the intersubjective and collective experiences of nationness, community interest, or cultural value are negotiated. (Bhabha, 2 emphasis mine )  14

「中間地点」の空間こそは、自己の戦略を練る領域となる。その戦略によって自己は単独だろうが共同体的なものであろうが、新たなアイデンティティの兆候を示し始める。そして新たな共同と闘争の場も生み出し、社会そのものを定義しなおしていく。差異の領域が重なりあったり、displacementすることで裂け目が現れてくる。そうした裂け目において国民としての属性や共同体の利益、あるいは文化的価値といった複数の主体にまたがる集団的体験が考えられるのである。

 

  境界において新たなアイデンティティ形成が起こるのは、何かを越えていくときである。それは、あとに残してきたものと(過去)、現実にいまここにあるもの(現在)という二つの視点から眺めることになる。Displacementするということは、新旧を対置することであり、新たな角度からながめることにつながる。その場が「裂け目」であり、境界で文化的諸問題を洗い直していくことが問われるのである。ルネは、ソン・リリンに対し、displacementを実践することによってどんどん自分の古い殻を脱ぎ捨てていった。いままで雑誌の女性たちしか相手にできなかったルネは初めて自我を溶解させ、文化の裂け目にも立ったのである。中間地点に立つというのは一種の移民、故郷喪失者、亡命者である。

       

[Henry] James introduces us to the 'unhomeliness' inherent in that rite of extra-territorial and cross-cultural initiation. The recesses of the domestic space become sites for history's most intricate invasions. In that displacement, the borders between home and world become confused; and, uncannily, the private and the public become part of each other, forcing upon us a vision that is as divided as it is disorienting. (Bhabha, 13 emphasis mine )  15

ヘンリー・ジェイムズが読者に示すのは、越境と文化横断の通過儀礼に内在する「故郷の喪失」である。慣れ親しんだ空間の奥まったところに、歴史がきわめて錯綜したかたちで侵入するための場ができる。こうしたdisplacementの過程で、故郷と世界の境界が攪乱される。そして、知らないうちに、プライベートとパブリックが互いの一部となり、無方向でしかも分裂した思考を我々に強いるのである。

 

  故郷喪失者とはdisplacementを実践する者のことである。場所から場所へと移動し、文化の単一性と同質性の安定を突き崩して、予測不可能ともいえる新しい文化の状況が脱中心的にわき起こってくる。ルネ・ガリマールは本国フランスからみると、亡命者同然の暮らしをしていた。ソン・リリンに対してdisplacementをすることで、どんどん自分であって自分でないような経験、それは彼にとっては「愛」だったのであるが、どんどん自分が変容していくのをおさえることができなかった。

 亡命者や故郷喪失者は、普遍主義の文化的ヘゲモニーを解体し、文化本質主義を棄てて文化の境界をなくす姿勢をもっている。ルネ・ガリマールは悲劇的な結末を迎え、一見敗北者のように見えるが、オリエンタリズムのあやまちに気づき、自分で選び取ったファンタジーに殉死したのである。オリエンタリズムのあやまちに気づいたことは、少なくとも新しい知を獲得したといえる。故郷を喪失し、領土を越え文化を横断することで世界をより普遍的にとらえることができるようになったのである。

 故郷を喪失することは、習慣的な日常生活から人を解放し、新たな視点をつくる。自由な立場から果敢に革新的なものに挑戦していくことである。そこには、もう中心だとか周縁だとかという二項対立でさえ意味のないものになっていくだろう。固定観念をつきくずすには、自らも相対化する必要がある。そのためには、様々な他者の意見を聞く態度が必要であり、それを受け入れる充分豊かな想像力が用意されるべきである。これが、ステレオタイプの見方であるオリエンタリズムを超克していく道であろう。

 

おわりに

 

  オリエンタリズムを解体するためにヘンリー・ウォンは脱構築的手法をとった。脱構築は、内部矛盾を掘り下げて、固定概念をつきくずし、構造をいったん解体して再構築する営みである。その担い手は、中心に居座る者ではなく、中心から周縁に追いやられた者である。脱構築の前には、必ずまず二項対立構造がある。この劇では、東洋と西洋、男性と女性、異性愛と同性愛、現実と幻想、支配と服従、オペラと京劇、金持ちと貧乏、雑誌の女と生身の女性、ソン・リリンとチン同志、ルネ・ガリマールとマルク、劣等感と優越感、文化革命前と後、見せ掛けと本物、そして生と死、といったさまざまな二項対立が舞台に上り、次々と脱構築されていく。

 脱構築的逆転は、さまざまである。ルネが男性としてのプライドを満足させていたかと思うと、それはソン・リリンのスパイ活動のための芝居であって、操縦していたのは実はソン・リリンであったという逆転。現実よりも幻想の中に生きることを決心したルネが自己完結のために死を選んだ。「死ぬこと」が幻想の世界ではあるが結局は幻想の世界で「生きつづけること」であるという逆転。雑誌の中の女性しか相手にできなかったルネが本当の愛をソン・リリンと育てることができたと思った。幻想の中のソン・リリンがルネにとってリアリティーをもち、現実のソン・リリンは即物的でくだらないものだったという本当のリアリティーという意味の逆転。ソン・リリンは女装した男性であったのでルネは、結局は、一種の同性愛にのめりこんでいったことになるというセクシュアリティーの逆転。 二項対立が逆転という形で解体され、それぞれ次の段階に踏み込んでいく。

結局、最後にバタフライであったのは、ソン・リリンではなく、実はルネ・ガリマールであった。表面的には、白人のルネが自殺にまでおいやられて、オリエンタリズム的な男性中心概念が一応は罰せられた形になっている。しかしながら、前述したように、ルネに一種のいさぎよさを感じるのは、ルネがdisplacementをなしとげ、愛を育み、相互理解のすばらしさを知ったからではないだろうか。ルネが内面化したのは、彼の幻想の中のソン・リリンではあるが、彼にとって真のソン・リリンであり、真のリアリティをもつ存在である。現実のソン・リリンが暴露されても、彼の内面で真のソン・リリンは生き続けている。だからそのソン・リリンと融合したため、死をも超越してしまったため自刃するのである。ルネがソン・リリンに興味をもったきっかけは、マダム・バタフライの演技という異質な文化に触れてルネがエキゾティシズムを感じたことであった。このエキゾティシズムがdisplacementを誘発し、ソン・リリンという主体に越境して入り込み、オリエンタリズムを乗り越えて、幻想ではありながらdisplacementによる愛を育んだ。

 M.Butterflyは、主人公ルネのアイデンティティー形成における彼の揺れ動く行動と心理をdisplacementによって見事に描写している。この劇は、オリエンタリズム批判という重いテーマを展開しているものの、脱構築によって二項対立をあざやかに崩壊させていき、ルネがdisplacementを通して自由とエネルギーをもち、他者という境界を横断し、同時に異文化という境界をも横断していく様を描いている。それが、この劇を単にオリエンタリズム批判におわらせず、悲劇的な結末ではあるが、自己と他者の関係、異文化間の交流のあり方を教えてくれるものになっている。

 

 

 

Abbreviations

 

MB       David Henry Hwan,  M.Butterfly.

OR       Edward W. Said  Orientalism.

 

 

References

 

Ⅰ.  Works Cited

Bhabha, Homi K..  The Location of Culture . New York: Routledge, 1994, 2004.

Chow, Rey , "The Dream of a Butterfly," Ethics after Idealism: Theory-Culture-Ethnicity-reading.  Milwaukee: University of Wisconsin, 1998.

Culler, Jonathan. On Deconstruction: Theory and Criticism after Structuralism. London: Routledge, 1983.

Hokks, Bell. Feminist Theory: From Margin to Center. Boston: South End Press, 1984, 1988.

Hwan, David Henry.  M.Butterfly.  New York: Plume, 1989.

Minh-ha Trinh T., When The Moon Waxes Red : Representation, Gender, and Cultural Politics. New York : Routledge, 1991.

Norris, Christopher.  Deconstruction:  Theory and Practice.  London and New York: METHUEN, 1983.

Said , Edward W.  Orientalism.  New York: Random House, 1979.

――――The world, the Text and the Critic. Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, 1893.

 

 

Ⅱ. Studies on M.Butterfly

山本秀行『境界を越えるアメリカ演劇』一の瀬和夫・外岡尚美編著 京都、ミネルヴァ書房、2001年。

ジェイムズ・クリフォード『文化の窮状』、太田好信他訳、人文書院、2003年、第5章「転置の詩学」(195-211頁)

 

Ⅲ. Videos

Hwan, David Henry.   M.Butterfly. Directed by David Cronenberg America, 1993.

Puccini Madama Butterfly. Wiener Philharmoniker Conducted by Herbert von Karajan  London:  Decca Record, 1989.

 

 

 

  原書のあとの訳については、各翻訳書を参考に論文の文脈に従うような訳を施した。

1 . David Henry Hwan, M.Butterfly (New York: Plume, 1989) この作品の引用は、すべてこの版に基づき、以後引用箇所は(MB頁数)と記す。有名な『マダム・バタフライ』がなぜ、この作品では『エム・バタフライ』と名付けられているのかというと、バタフライ役のソン・リリンが実際は、女性ではなく男性であるということに起因する。つまり、MadamでありMisterでもあるので『エム(M)』なのである。

  翻訳については、デイヴィッド・ヘンリー・ウォン『M・バタフライ』(吉田美枝訳、劇書房、1989年)を参考にした。

 2. Orientalismという用語についての考え方は、Edward W. Said (1935-)のOrientalism (New York: Random House, 1979) の言説にしたがった。以後引用箇所は(OR頁数)と記す。翻訳は、エドワード・W・サイード『オリエンタリズム・上下』(今沢紀子訳、平凡社、1993, 2001年)を参考にした。

 3. 論考の2章は、テキストとして使用したM.Butterflyの表紙の裏にある「作者紹介」を参照した。M.Butterflyの表紙の裏、「作者紹介」の原文は次のとおりである。“DAVID HENRY HWANG, the son of first-generation Chinese Americans, has emerged as one of the brightest young playwrights of this decade. His first lay, FOB, originally staged at Stanford University during his senior year, was presented in a revised form in 1980 at the New York Shakespeare Festival's Public Theater. Since then, he has had numerous plays staged, including the powerful and poignant M.Butterfly, the Outer Critics Circle Drama Award and the Drama Desk Award for Best New Play. David Henry Hwang has also collaborated with composer Philip Glass on a science fiction musical drama entitled 1000 Airplanes on the Roof .”

 4. 1986年の5月、ヘンリー・ウォンが食事中に聞いた話が創作のきっかけであった。ある友人の話では、フランスのある外交官が中国の女優に恋をしたが、後でわかったところでは、その女優がスパイであったばかりか、何と男であったという。ヘンリー・ウォンは、ニューヨーク・タイムズ紙でそれを確かめた。新聞によると、その外交官はBernard Bouriscot(ベルナール・ブリスコー)といい、その女優の裸を見たことがないことの説明として「慎み深いところが中国人女性の習慣だと思った」と述べている。 “It all started in May of 1986, over casual dinner conversation. A friend asked, had I heard about the French diplomat who'd fallen in love with a Chinese actress, who subsequently turned out to be not only a spy, but a man? I later found a two-paragraph story in The New York Times. The diplomat, Bernard Bouriscot, attempting to account for the fact that he had never seen his “girlfriend” naked, was quoted as saying, “I thought she was very modest. I thought it was a Chinese custom.”” (MB 94)

 5. ヘンリー・ウォンは、あとがきに「ブリスコーが中国人女性の慎み深さを習慣と錯覚したことに対して、そんなのは中国の習慣ではないとアジア系アメリカ人としてきっぱりと反論する。アジアの女性だって愛する男の前では、西洋の女性と同じように振る舞うはずであるし、ブリスコーの思いこみが、ステレロタイプ化した考え方と一致しているのは明らかだという。そこで、彼はブリスコーが、その中国人女性に恋したのではなくて、空想のステレロタイプに恋したのだという結論を下したという。ヘンリー・ウォンは、さらに続けて、その中国人スパイは彼が誤解し続けるようにしむける際、東洋女は従順だというイメージを利用し、そのイメージに合うように芝居をしたに違いないと思った」と述べている。“Now, I am aware that this is not a Chinese custom, that Asian women are no more shy with their lovers than are women of the West. I am also aware, however, that Bourisco's assumption was consistent with a certain stereotyped view of Asians as bowing, blushing flowers. I therefore concluded that the diplomat must have fallen in love, not with a person, but with a fantasy stereotype. I also inferred that, to the extent the Chinese spy encouraged these misperceptions, he must have played up to and explited this image of the Oriental woman as demure and submissive. ” (MB 94)

 6. Edward Said, The world, the Text and the Critic (Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, 1983), 12. エドワード・サイード『世界・テキスト・批評家』(山形和美訳、法政大学出版局、1998年)19-20頁。

 7. Rey Chow, "The Dream of a Butterfly," Ethics after Idealism: Theory-Culture-Ethnicity-reading (Milwaukee: University of Wisconsin, 1998) にオリエンタリズム批判の大切さと現在のその膠着した状況が書かれている。「私たちは、文化横断的な交換が帝国主義の歴史による不平等および不公正によって条件づけられている時、その交換から生じる紛争や混乱、悲劇の多面的な精神的・哲学的含意について詳細に検討しなければならない。最近は私たちは、ステレオタイプの他者表象に内在する人種差別的、性差別的な誤りを批判する自己の能力に悦に入っている」"We must examine in detail the multifaceted psychical and philosophical implications of the conflict, confusion, and tragedy arising from "cross-cultural exchange" when that exchange is conditioned by the inequities and injustices of imperialist histories."(75)  These days we have become complacent about our ability to criticize the racist and sexist blunders inherent in the stereotypical representations of our cultural "others." (74)

 8. Jonathan Culler, On Deconstruction: Theory and Criticism after Structuralism (London: Routledge, 1983) ジョナサン・カラー『ディコンストラクション』(富山太佳夫・折島正司訳、岩波書店、1985年)133, 248頁。

 9. Christopher Norris, Deconstruction: Theory and Practice (London and New York: METHUEN,1983) p.3. クリストファー・ノリス『ディコンストラクション』(荒木正純・富山太佳夫訳、勁草書房、1986年)8頁。

10. T Minh-Ha Trinh, When The Moon Waxes Red : Representation, Gender, and Cultural Politics (New York : Routledge, 1991 ), p. 17. トリン・T・ミンハ『月が赤く満ちる時』(小林富久子訳、みすず書房、1996年)24、26頁。

11. "The Dream of a Butterfly," Ethics after Idealism, p.76.  Rey Chowは、「ファンタジーがアイデンティフィケーションの過程に根源的誤認があるのではないかという問いを投げかけている。ファンタジーが単に歪曲や搾取の問題ではなく、むしろわれわれの意識、すなわち精神の覚醒した状態と不可分であるとすれば、文化横断的な交換において何らかの性的・人種的アイデンティフィケーションを達成する可能性と含意はどのようなものであろうか。」 “If fantasy is not simply a matter of distortion or willful exploitation, but is rather an inherent part of our consciousness, our wakeful state of mind, what are the possibilities and implications of achieving any kind of sexual and racial identification in a "cross-cultural" exchange?” 

12.「転置」という訳語はジェイムズ・クリフォード『文化の窮状』(太田好信他訳、人文書院、2003)第5章、「転置の詩学」(195-211頁)に拠った。

13.  Bell Hokks, Feminist Theory: From Margin to Center (Boston: South End Press, 1984, 1988), preface. ベル・フックス『ブラック・フェミニストの主張:周縁から中心へ』(清水久美訳、勁草書房、1997年)v頁。 “Preface: To be in the margin is to be part of the whole but outside the main body. As black Americans living in a small Kentucky town, the railroad tracks were a daily reminder of our marginality. Across those tracks were paved streets, stores we could not enter, restaurants we could not eat in, and people we could not look directly in the face. Across those tracks was a world we could work in as maids, as janitors, as prostitutes, as long as it was in a service capacity. We could enter that world but we could not live there. We had always to return to the margin, to cross the tracks, to shacks and abandoned houses on the edge of town. There were laws to ensure our return. To not return was to risk being punished. Living as we did-on the edge-we developed a particular way of seeing reality. We looked both from the outside in and from the inside out. We focused our attention on the center as well as on the margin. We understood both. This mode of seeing reminded us of the existence of a whole universe, a main body made up of both margin and center. Our survival depended on an ongoing public awareness of the separation between margin and center and an ongoing private acknowledgment that we were a necessary, vital part of that whole.”

「周縁にいるということは、全体の一部でありながら中心体の外側にいるということである。ケンタッキー州の小さな町で暮らす黒人のアメリカ人にとって、鉄道の線路は自分たちの周縁性を日々思い知らされるものだった。線路の向こう側には舗装された道路や私たちが足を踏み入れられない店舗、食事をできないレストランがあり、まともに顔を見てはいけない人々がいた。線路の向こう側には、私たちがメイドとして、あるいは、掃除夫、売春婦など、人に仕える仕事である限り働ける世界があった。私たちはその世界に入り込むことができたが、そこで暮らすことはできなかった。常に私たちは線路を越えて町はずれのぼろ小屋や廃屋など、周縁の地へ戻らなければならなかった。 そこには私たちに戻ることを強制する法律があった。戻らないことは罰せられるリスクをはらんでいた。現に-周縁で-暮らす体験から、私たちは現実を見る独自の方法を開発した。私たちは外側から内を眺め、内側から外を眺める双方を体験した。私たちは中心を見つめるとともに、周縁を見つめた。私たちは双方を理解した。こうした物の見方から、私たちは世界全体の存在と、主要体が実は周縁と中心の両方から成り立っていることに気づかされた。私たちの生存は、周縁と中心の分離という公的な認識が続くことに依存していたし、自分たちが全体のために不可欠で重要な一部だという個人的な認識が続くことにも依存していた」

14. Homi K. Bhabha, The Location of Culture (New York: Routledge, 1994, 2004), p.2. ホミ・K・バーバ『文化の場所:ポストコロニアリズムの位相』(本橋哲也他訳、法政大学出版局、2005)2頁。

15. The Location of Culture, p.13. 『文化の場所:ポストコロニアリズムの位相』17頁。

bottom of page