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チャンネ・リーの『ジェスチャー・ライフ』における

ディスプレイスメント 

                                                             森岡 稔

 

This essay focuses on conceptualizations of displacement in Chang-rae Lee’s novel A Gesture Life. Specifically, it seeks to understand how constructions of displacement theory contribute to both the survival of an elderly Japanese-American Franklin "Doc" Hata born in Korea and the overthrow of his view of Japanese Orientalism.  In its critique of displacement enterprise, the novel elucidates how new values obtained through displacement operates as a mechanism for his openhearted identity-making.  At first, he spends his life adapting to a new culture in a wealthy suburb of New York by behaving with abject politeness in order to be accepted.  He adopts a Korean girl in order to cover a much deeper melancholy that are given through a series of successive flashbacks to his days as a medic in the Japanese army in World War II.  His enamored love of a young Korean “comfort woman” in the Burmese camp results in a tragedy and a horror focused on some astonishingly brutal and obscene scenes. Later, he has to make use of both “Imperialist Nostalgia” and the compensatory adoption of a Korean girl in order to efface the abhorrent memory.  Due to the lack of displacement, he fails mutual understanding with an adopted daughter, Sunny and a local widow he is romantically involved with.  Deficiency in displacement has something to do with Orientalism which is one-sided partnership to ‘other’.

This paper discusses the theoretical concept of displacement regarding the self's relationship with the 'other.'  The activity of displacement depends on fixing our eyes on both self and 'other' simultaneously as we pass the cultural and self-other border.  Displacement can lead to an extension and rediscovery of an identity.  "Doc" Hata tries to make an effort to understand others through displacement by an internalization of the 'other' by the last page of this novel.  In Orientalism, binary oppositions are built up into hierarchical constructions and employed as tools of domination and oppression.  Displacement prefers movement and diversity to fixation and to homogeneity like Orientalism.

 

 

はじめに

 

 韓国系アメリカ人チャンネ・リーChang-rae Lee(1965-)の小説は3作あり、『ネイティブ・スピーカー』Native Speaker (1995)、『ジェスチャー・ライフ』A Gesture Life (1999) 1 『空高く』Aloft (2004)の順で発表されている。本稿で扱う作品は第二作目のA Gesture Lifeである。この作品はThe PEN/Hemingway Award、The American Book Award、The ALA Book of the Year Awardの3つの賞を受賞している。

 A Gesture Lifeの主人公ドク・ハタDoc Hataは、在日コリアンとして日本に生まれ、日本人の養子となって軍医助手として徴兵された日本軍の中尉であり、黒畑という姓を名乗っている。戦地ビルマにおいて、韓国から連れてこられた美しい従軍慰安婦“K”を管理しているうちに、彼女に同胞意識と愛情を抱く。黒畑中尉ことドク・ハタは日本軍に属していながら、日本軍兵士たちが朝鮮半島に対してもつ日本的オリエンタリズムに静かな反発をつのらせる。結局黒畑中尉は、愛した“K”の命を最後まで救うことができず、日本軍兵士によって惨殺された彼女の姿を見てしまう。

戦後になってドク・ハタはアメリカに移住し、ニューヨーク郊外で薬局を営む。ビルマにおいて“K”を救いきれなかったことが彼の心の傷となっている。贖罪のように“K”の身代わりとして韓国生まれの女の子を養女に迎え入れ育てるが、成長した彼女は「ジェスチャー」(体裁)だけで生きる彼に反発して去っていく。彼は平穏な居場所を追い求め、自分の感情を抑えながら必死に生きているが、人によい印象を与えることばかりに腐心するあまり、彼は周囲の人たちと心の深いところでの交流をすることができない。養女のみならず、交際する女性にも本音で接することがないので愛想をつかされてしまう。それは自己と他者の相互理解であるDisplacementが不完全であったからである。

 Displacementが機能していないのはオリエンタリズムについてもあてはまる。エドワード・W・サイードEdward W. Said(1935-2003)が批判したオリエンタリズムには、「他者の立場に立って他者にも自分と同じような文化がある」という他者理解・相互理解の欠如が西洋と東洋という二項対立的状況の中に見受けられる。オリエンタリズムによって西洋は東洋を異文化の「他者」として見なし、自己から他者を切り離すことによって自文化の同一性を強化する。その上で東洋を対象に支配管理するイメージを生産していく。

 ドク・ハタも他者に迷惑をかけまいと必死になって生きているが、知らず知らずのうちに自分の生活信条を相手に押しつけてしまっているという点では、オリエンタリズムによる一方的な支配とそれほど変わらない。つまり、相互理解を旨とするDisplacementに失敗しているのである。彼の生活態度は、相手の人格を理解し尊重することが先行するのではなく、自分の考えを優先するものであるから、周りにいる人々を窮屈にさせてしまうのである。彼はこのような間違いをおかした。

総括的にDisplacementには次の2つの側面が考えられる。一つは、場所を移動して異文化に接触して自らと自国について振り返るディアスポラ的なものであり、もう一つは、自己と他者の関係、すなわち相互行為的なものである。ドク・ハタは在日コリアンから日本人の養子となり、戦後はアメリカに移り住み、アメリカ人の環境の一部になろうとする。彼はいわば3つの国の文化をまたぐ人間であるから、異文化との境界に立つディアスポラ的Displacementとしての人間のあり方が問われる。それと並行して他者との関係の中で自らアイデンティティを流動的にし、人間形成をしていくのであるから、これは相互行為的Displacement議論になっていく。

Displacement理論のルーツは脱構築Deconstructionであり、さらに差異をめぐる問題は、オリエンタリズムを含めた議論に発展していく。本論は先ず、今までに研究されてきたDisplacementという文学・文化理論を整理・系統化するとともにオリエンタリズムについて考察し、つづいてDisplacement理論をA Gesture Lifeに照射することによって、作品分析を試みるものである。従って本論は第一部「OrientalismとDisplacement」と第二部「A Gesture LifeにおけるDisplacement」の二部構成となる。

 

第一部

Orientalism とDisplacement

 

1.  Orientalism

 

 サイードによるオリエンタリズムの定義を簡略化して言うならば、オリエンタリズムとは、西洋以外の世界を「東洋」としてひとくくりにし、「西洋」と「東洋」を二項対立的に規定するものである。つまり、オリエンタリズムは、ヨーロッパからアジアへと向けられた視線の中で編成された特権的な言説であり、「ヨーロッパにとってのアジア」という見方である。従って、オリエンタリズム批判は、オリエンタリズムという言説によって抑圧され歪められた見方を「東洋それ自体」に表象しなおそうという試みであるということができる。

 オリエンタリズムにおいては、オリエントを語る際に、語る主体(西洋)は語られる客体(東洋)を低い存在としてみる。西洋を特権化する帝国主義的な立場は、東洋文化を劣ったものとみなし、それを隷属しようとするのである。サイードは次のように語る。

 

We cannot fail to be convinced that the dialectic of self-fortification and self-confirmation by which culture achieves its hegemony over society and the State is based on a constantly practiced differentiation of itself from what it believes to be not itself. And this differentiation is frequently performed by setting the valorized culture over the Other. 2

文化が社会や国家に対するヘゲモニーを達成することのできる自己強化と自己確認の弁証法は、文化が文化でないと信じているものから自らを絶えず差異化しようとする実践に基づいていることに気づかざるをえない。この差異化は、安定化された価値をもつ文化を「他者」よりも上位に置くことによって遂行されるのである。

 

中心となる文化、すなわち西洋文化は自らの安定を保つために自らの周縁となる「他者」の文化を文化とは認めないことによって差異化し、「他者」に対して自らの文化の優位性を確立することによって階層秩序を壊されまいとしている。こう非対称的な関係の中で、オリエンタリズムは形成されるのである。サイードのいうオリエンタリズムは、植民地の拡大という実質的なものばかりでなく、歴史学・言語学・人類学などの学術研究、文学・絵などの芸術にも現れている。オリエンタリズムにおいては見る側が見られる側を下位に見ることによって境界を築いてきた。また、植民する段階において混血で生じる雑種性に対するフォビアがことさらオリエンタリズムという言説を強化していったと言える。

 非西洋の側では、自己の中に西洋を内面化することが行われていくうちに、オリエンタリズムに則った形での西欧化・近代化・脱亜入欧というオクシデンタリズムが発生した。オクシデンタリズムは、西洋文化を擬態することによって取り込み、すきを見て出し抜こうとする戦略である。西洋の東洋に対する差別的視線も共有してしまうこのオクシデンタリズムは、オリエンタリズムの裏返しである。東洋において、オリエンタリズムを鮮明にすることで二項対立をうまく政治的に利用し、国内の抑圧を隠蔽することに役立ってきたという局面もある。これは、マイノリティが差別を強調し、マジョリティに対抗する手段として被差別意識を助長してきたことに似ている。

 ある文化が他の文化を「他者」として差別するのは、他者が自文化に接近する時である。つまり、他者が他者のままでいる限りは恐れることなく、他者が自己の中の何かを刺激する時、あるいは文化アイデンティティを危機に陥らせる時に脅威を感じて差別し始める。これは、自文化の安定をはかるための防衛策にほかならない。「差異」が、東洋に対する西洋の見方としてオリエンタリズムというものを育成してきたのである。同一性を追求する普遍主義にしても、差異を強調する文化相対主義にしても、同じ「差異」をめぐっての議論であるからそれらはオリエンタリズムと拠って立つところは同じである。

 もちろん、サイードの述べるオリエンタリズムが西洋からのすべての認識の仕方を代表しているとは言えない。むしろ、オリエンタリズム批判がステレオタイプないし教義になっているのではないかという主張もされている。そこで本論では、オリエンタリズム批判に終始することなく、「差異」によって形成された外部と内部という境界をどのようにして乗り越え、Displacementという対話の精神を育むことができるのだろうかということをラディカルに考察することになる。

サイードによると、西洋と東洋の関係は、権力と支配の関係、さまざまな度合いの複雑なヘゲモニーの関係にほかならない。西洋が東洋を支配しているという潜在的意識が世界史の上に影を落としていることは否めない。サイードは、西洋が東洋を支配する権力構造と、男性的原理が女性的原理を支配するという構造とが同一であることを次のように示す。

 

Orientalism itself, furthermore, was an exclusively male province; like so many professional guilds during the modern period, it viewed itself and its subject matter with sexist blinders....Women are usually the creatures of a male power-fantasy. They express unlimited sensuality, they are more or less stupid, and above all they are willing. 3 (Said 207)

さらにオリエンタリズム自体は現代における専門家ギルドと同様、もっぱら男性的な領域であった。オリエンタリズムは、自分自身と自分に関わる問題を性差別主義者という目隠し(色眼鏡)を通して眺めるものである。(オリエンタリズムにおいては)女性とは、たいてい男性的な権力幻想によってつくり出された生き物である。女性たちは限りない官能性を表して、多かれ少なかれ愚かで、男性に喜んで従うものなのだ(という観念に支配されていた)。

 

 支配する側が男性で、支配される側が女性だという構造をオリエンタリズムは内包している。つまり、女性という弱者を男性という強者が支配するという権力的な構造が背景にある。サイードによると、西洋人は東洋人を低く見ているがために、東洋人を弱い立場のものになぞらえるという。これは東洋人を女性のような弱者とみるオリエンタリズムの構造にあてはまる。

 

Along with all other peoples variously designated as backward, degenerate, uncivilized, and retarded, the Orientals were viewed in a framework constructed out of biological determinism and moral-political admonishment. The Oriental was linked thus to elements in Western society (delinquents, the insane, women, the poor) having in common an identity best described as lamentably alien. (Said 207)

後進的で退行的、非文明的で停滞的であるなどと決めつけられているように他の民族の場合と同じように、東洋人は生物学的決定論と倫理的・政治的教訓からなる枠組のなかに置かれてながめられた。東洋人は嘆かわしい異邦人という表現がもっともふさわしいようなアイデンティティーを共通にもっている共有する西洋社会のなかの諸要素(犯罪者、狂人、女、貧乏人)に結びつけられた。

 

このようにサイードは、著書『オリエンタリズム』Orientalismにおいて、オリエンタリズムのもつ人種差別的要素を明確に浮き彫りにしている。

旧来の「東は東、西は西」といった世界をわけもなく分別するやり方には、実はオリエンタリズムが潜んでいる。サイードは、Orientalismの中でオリエンタリズムが本質主義的立場をとることを次のように述べている。

 

Theses of Oriental backwardness, degeneracy, and inequality with the West most easily associated themselves early in the nineteenth century with ideas about the biological bases of racial inequality....Thus the whole question of imperialism, as it was debated in the late nineteenth century by pro-imperialists and anti-imperialists alike, carried forward the binary typology of advanced and backward (or subject) races, cultures, and societies. (Said 206)

オリエントの後進性と退行性、西洋との不平等といった命題は、19世紀初頭における人種差別の生物学的根拠となる諸観念と簡単に結びついた。このように19世紀後半、親帝国主義者によっても反帝国主義者によっても議論されたように、帝国主義の問題全体が人種、文化、社会を先進的なものと後進的な、つまり従属的なものに分類する二項式の類型学を推し進めた。

 

 東洋を劣ったものであるとする見方は、「東洋と西洋」と言った瞬間に、先進的と後進的な二項分類をしているわけである。それは、帝国主義者であろうとなかろうと、すでに定まった考え方であったのである。「東は東、西は西」という固定化した考え方は、「非文明的」な国を先進的な国が併合したり占領したりすることを当然とする傾向が西洋社会にコンセンサスとしてあったことを示している。「東は東、西は西」という言葉の中には、西洋人が東洋文化を理解しようという態度を最初から放棄し、東洋を劣ったものとして固定して支配する戦略がある。

 さらに、伝統や文化を科学の発達という尺度で測る考え方は、伝統や文化について狭い見解しかもたらさない。文化の発達度は、科学の発達だけでは推し量れないはずなのに、それを根拠に東洋を低く見るという誤謬がオリエンタリズムにはある。裏返して考えれば、自分たちが理解できないものは劣っていると断定しなければ、実際は心の奥底で感じている得体のしれない東洋への恐怖を追い払うことができない。

 

 

2.   DeconstructionとDisplacement

 

オリエンタリズムとディコンストラクションの関係はどういうものであろうか。オリエンタリズムという固定観念はその頑迷さが弱点となり、それを突き崩す脱構築の可能性がその中に胚胎する。ディコンストラクションの役割は固定観念を解体することであり、オリエンタリズムという固まった観念に鉄槌をくだす。クリストファー・ノリスChristopher Norrisは、著書 『ディコンストラクション』Deconstruction の中で次のように脱構築の定義をしている。

 

Deconstruction is avowedly ‘post-structuralist' in its refusal to accept the idea of structure as in any sense given or objectively 'there' in a text. Above all, it questions the assumption that structures of meaning correspond to some deep-laid mental 'set' or pattern of mind which determines the limits of intelligibility. 4 (Norris 3)

脱構築は、テクストの内部に構造が何らかの意味で与えられているとか、客観的にそこに存在しているとかいう考え方を拒絶するから、明白に「ポスト構造主義」である。脱構築は、意味の構造が理解の限界を決定する何らかの深層の精神的傾向や精神の型に応じるという仮定を疑うという。

 

 つまり、脱構築は固定した構造を認めないのである。オリエンタリズムとの関連で言うと、西洋と東洋といった固定した構造の枠組みが「理解の限界を決定する精神的傾向や型」にあたる。その枠組に依拠し続ける限り、自由な考え方は束縛されてしまう。従って、限定した実体を認めない脱構築的自由はオリエンタリズムを糾弾するというエネルギーを備えている。

 中心が周縁に追いやったものから批判を受け、中心がもともと内包する矛盾を周縁が突くこと、これがディコンストラクションのもつ意義である。ノリスが、「その[西洋の]伝統に属するあらゆるテクストは、それ自体の内部に脱構築的な読みを受ける破壊的ポテンシャルを持っている」“every text belonging to that [Western] tradition bears within itself the distructive potential of a deconstructive reading.”(Norris 48) と言うように、固定した構造は否定され排除されたものから再構築を迫られるのである。

 中心が中心であり続けるのは、周縁に追いやった他者に依存しているからである。しかしながら、いくら破壊的ポテンシャルをもっているにしても起爆剤が必要である。それは、とりもなおさずDisplacementである。中心をDisplacement することによって矛盾は暴露され、一挙に中心は権威を失う。

 トリン・T・ミンハTrinh T. Minh-ha (1952-)は、その著When the Moon Waxes Red: Representation, Gender, and Cultural Politicsの中で中心と周縁との関係におけるDisplacementの役割について次のように記述している。

 

The margins, our sites of survival, become our fighting grounds and their site for pilgrimage. Thus, while we turn around and reclaim them as our exclusive territory, they happily approve, for the divisions between margin and center should be preserved, and as clearly demarcated as possible, if the two positions are to remain intact in their power relations. Without a certain work of displacement, again, the margins can easily recomfort the center in its goodwill and liberalism; strategies of reversal thereby meet with their own limits.... By displacing, it never allows this classifying world to exert its classificatory power without returning it to its own ethnocentric classifications. 5 ( Minh-ha 17, emphasis mine) 

   

Displacement involves the invention of new forms of subjectivities, of pleasures, of intensities, of relationships, which also implies the continuous renewal of a critical work that looks carefully and intensively at the very system of values to which one refers in fabricating the tools of resistance. (Minh-ha 19, emphasis mine ) 

生き残りのための場であった周縁は私たちの戦いの場であったし、巡礼のように経験するものであった。このように私たちがその周縁を動き回り排除された領域を奪還しようとしている間に、彼ら(中心にいるものたち)は、周縁と中心の区分が存続し、周縁と中心の力関係が損なわれないようにするために、できるだけ喜んで周縁がその位置にいることを認めるようになった。Displacementをしなければ、周縁は善意と自由主義の名のもとに中心を簡単に元気にさせてしまう。お互いの位置を転換するという戦略はそこで限界を見てしまう。・・・(ところが周縁が) Displacementを行うと、この世界の分類を推し進める力を発揮したあと自民族中心主義的な分類法をとりもどさずにはいられなくなる。

   

 

Displacementは、新しいかたちの主体性、快楽、緊張、関係性を生み出すことを含んでいる。つまり、抵抗の道具を作り出す過程で、見張るべき価値体系そのものを注意深く集中的に検討するという批判的な営みを絶えず新しくしていくことを意味しているのである。

 

 Displacementは継続的に中心の動きを批判的に監視する役割を果たしている。周縁が自分たちの陣地を確保するのを中心が気前よく認めるのは、中心がそれをいいことに周縁が中心に入り込まないよう区画整理をしているからである。つまり棲み分けをしているわけで、中心は変に周縁を刺激して周縁にDisplacementをすることに気づかせて、中心の地位を脅かすようなことをさせたくない。Displacementすることは両側の立場に立ち、絶えず中心と周縁を二分区画する動きに目を光らせることになる。

 Displacementが機能していないと、その場はオリエンタリズムの温床になり、優越感・劣等感といった世俗の理解ができる状況になる。相手が劣等感を持つことで自動的に自分が高い位置に上り、自分の優位が確認されるという権力の構図ができあがり、オリエンタリズムの構造があきらかになるのである。この点についてサイードはOrientalismにおいて次のように論じている。

 

So Orientalism aided and was aided by general cultural pressures that tended to make more rigid the sense of difference between the European and Asiatic parts of the world.... My contention is that Orientalism is fundamentally a political doctrine willed over the Orient because the Orient was weaker than the West, which elided the Orient's difference with its weakness. (Said 204)

オリエンタリズムは、ヨーロッパとアジアという世界の二つの部分の差異感覚をもっと厳しいものにさせるように文化的圧力によって強化されたり、逆に文化的圧力を強めたりした。・・・私の主張の論点は、オリエンタリズムとは、オリエントに押しつけられた基本的に政治的な教義であるというものである。それは、オリエントが西洋より弱かったために、オリエントの異質性を西洋がその弱さにつけこんで無視しようとするものであった。

 

本来は、西洋はその異質な点、理解不可能な部分に恐怖しているのであるが、オリエントの弱い部分から入り込んでオリエントのすべてを支配してしまうのである。西洋は差異をうまく利用し、もともとは対等であるべきはずの西洋と東洋の文化に優劣をつけてしまった。このオリエンタリズムの構造に気づき改善を加えようとするのがDisplacementなのである。

Displacementという用語の意味についてOxford English Dictionary にあたるとその意味は、 “the removal of a thing from its place; putting out of place; shifting, dislocation”である。6 基本的には場所の移動であるが、現代文学批評においてDisplacementの意味は拡張されている。系譜的にはDisplacementの発生はDeconstructionである。ところが、これまでこの成り立ちを明確には言及されてこなかった。ジョナサン・カラーJonathan Culler (1944-)はジャック・デリダJacques Derrida (1930-2004)のDeconstruction(脱構築)の言説を引用しながら、次のようにDisplacementとDeconstructionとの関連を述べている。

 

Deconstruction must, Derrida continues, “through a double gesture, a double science, a double writing, put into practice a reversal of the classical opposition and a general displacement of the system. It is on that condition alone that deconstruction will provide the means of intervening in the field of oppositions it criticizes”…7 (Culler 85-6, emphasis mine) 

 

To deconstruct an opposition is to undo and displace it, to situate it differently. (Culler 150, emphasis mine ) 

デリダが続けていうには、脱構築は「二重の身振り、二重の学問、二重の書き方によって古典的な(前からある)対立の逆転を実行に移すばかりではなく、それとともに、古典的なシステムを全般的にDisplacementしていかなければならない。この条件が満たされてはじめて、脱構築は自らが批判する二項対立の場に介入する手段を提供するだろう」

    

 

ある対立を脱構築するとは、それを解きほぐし、そのDisplacementをして別の形で定位するということである。

 

 Displacementとは二項対立するものが単に入れ替わることをさすのではなく、システムそのものの意味が変容していくことをさす。つまり、枠組みそのものがかわってしまうことを指す。それまであった境界そのものが意味をなさなくなるのである。Displacementは要するに二項対立の解消であるが、それには手順がある。一度、立場が逆転するものの、それにとどまらず枠組みの矛盾が暴露され、枠組み自体が無意味であることに気づくために二項を隔てていた境界が消滅する。さらにその状態を維持するためには二項が内面化しあって相互理解をし、古い枠組みが復活しないよう見張りながら新しく平等な関係を形成していく。脱構築が単なる秩序の破壊ではなく、建設的な意味をもっていることがわかる。したがって、自己が他者に身を置き換えて、互いの人格を認め合う相互行為がなければDisplacementをしていることにはならない。オリエンタリズムのような支配と従属の関係から脱却すること、それが脱構築であり、また脱構築の本質がDisplacementであることが上のジョナサン・カラーの論述でわかる。Displacementとは、まず古い枠組みを解体して相互理解を深め、別の平等なシステムをつくっていくことに他ならない。

 

3.    Displacementの効用

 

 今まで見てきたようにDisplacementは、文化的境界や自他の境界を横断しながら、自己と他者を同時に見つめる行為である。Displacementによる他者との出会いが、エキゾティシズムのみならず想像力や詩的認識を喚起する。それが文学を成り立たせる条件にもなる。Displacementにおいて、他者を理解するということは、自分以外の人間の存在を認めることになり、自己の内面に他者を見いだすことにつながる。自己に対して自己が外部からまなざしを送ることによって自己の内面を相対化すること、すなわち自らの立場と視線を相対化することである。Displacementにおいて、自我と他者が融合したり同化したりするという現象が見られるのは、主体の認識の中心にある自我に変化や流動化が起こった結果に違いない。それは、異質性と同時に多様性を認識することである。空間移動にしろ、心理的な移動にしろ、あるいは文化的な移動にしても、未知なるもの、異質なるものに出会うことは文化を比較的・相対的に見ることを促す。

 Displacementすることは、定住することなく社会の中を動き、自由に越境して自らの生きている社会を冷静に見据え、変革する気概をもつことを喚起する。固定よりも移動を、同質よりも異質性・多様性を好む。Displacementが脱中心化・相対化をもたらすのは、言うまでもなく、異質なもの多様なものに出会うからである。Displacementを心得る者は、他者と出会った時に互いの異質性を認め合うことの可能性を追求する傾向にある。未知なるものを発見し異質なものと接触しながら、新たな自我を展開していく。そうすることによってこれまでの認識を一変させるような自己の変容をとげることがDisplacementの効用であるといえる。もちろん、主体は、Displacement の際には慣れ親しんだ基盤を一旦失うために不安定な状態となる。自らの習慣化した価値観を崩して新たな価値観を形成したり、古いアイデンティティを解体させ流動化させて新しいアイデンティティを確立していくことで危機的な状況に戦略的に自分をおいやることでもある。

 Displacementによって境界を越境することは新しい価値観の視座の確立を可能にし、自我を流動化させることは対話の姿勢を生み出す。硬直した閉塞状況を打開するDisplacementの働きはこれからもいろいろな局面で大きく要請されるであろう。Displacementによって蓄積された知は、多文化社会における異民族間の話し合い、ポストコロニアル的状況、脱オリエンタリズム、他者との交流など、活躍する場は多岐にわたるであろう。

 境界を自由に横断することは、世界にネットワークを形成し、他者との関係性をつくることにつながる。自我を流動化し、新しいアイデンティティを形成することは、決して自我の個別性を失うことではなく、統合された全体性への導入口となりえるのである。マイノリティ文学の主人公たちは、自分の居場所と生き方を求めて周縁部をさまよい歩く。一つの場所に停滞することなく周縁の場所と人間の間を移動し続けることによって自らのアイデンティティを形成していくのである。移動することによって「内なる他者」を見い出し、自己発見をしていく。まさに越境をつづけながら外部からのまなざしを受け、疎外の状況で自己の内部を相対化していくことが自己形成の契機となるのである。

 Displacementは、たえず自らを周縁的存在に置いて移動しつづけ、他者の立場から内面を相対化し成長していくことを意味する。その時の自己の中身は、内部でもあり外部でもある。それは、他者性を押しつけ固定する植民地主義や帝国主義とは対蹠的なものである。周縁にいることで中央と周縁の両方を見通すことができる。これについてベル・フックスBell Hooks(1952-) は次のように的確に論述している。

 

Living as we did-on the edge-we developed a particular way of seeing reality. We looked both from the outside in and from the inside out. We focused our attention on the center as well as on the margin. We understood both. This mode of seeing reminded us of the existence of a whole universe, a main body made up of both margin and center. Our survival depended on an ongoing public awareness of the separation between margin and center and an ongoing private acknowledgment that we were a necessary, vital part of that whole. 8

周縁で暮らす体験をして私たちは現実を見る独自の方法を開発した。外側から内を眺め、内側から外を眺めた。私たちは周縁を見つめるだけでなく、中心にも注意を集中させた。私たちは両方を理解する。こうした物の見方から、私たちは周縁と中心の両方から成り立っている主要な本体すなわち世界全体の存在に気づく。私たちの生存は、周縁と中心の分離という継続する公的な認識と自分たちが全体のために不可欠で重要な一部だという個人的な認識に依存していた。

 

主体の成長のきっかけはDisplacementによって多様性を受け入れることである。ベル・フックスが述べる中心と周縁の構造は世界全体の数々の位相を形成し、中心と周縁の両方を見つめることによって世界全体の成り立ちと自己の存在についての認識を深めることができる。中心と周縁の双方を認識することがDisplacementを実践していく出発点であり、アイデンティティーの質的向上に役立つ。自分とは異なるいろいろな他者と遭遇し、その差異によって生み出される摩擦や葛藤をむしろプラスのエネルギーに変えることで主体は成長していくことができる。Displacementという経験的事実の効果、いいかえればDisplacementの効用というものがそこにある。

 

 

4.    故郷の喪失

 

 Displacementによって自己はハイブリッドでありかつディアスポラの状況に置かれるのであるが、それはとりもなおさず境界上に主体をもってくることでもある。Homi K. Bhabha (1949-)は、Displacementを論じた著書The Location of Cultureにおいて、アイデンティティが境界、すなわち彼の言うところの「中間地点」の空間で形成されることについて論述している。

 

These 'in between' spaces provide the terrain for elaborating strategies of selfhood-singular or communal-that initiate new signs of identity, and innovative sites of collaboration, and contestation, in the act of defining the idea of society itself.  It is in the emergence of the interstices-the overlap and displacement of domains of difference-that the intersubjective and collective experiences of nationness, community interest, or cultural value are negotiated. (Bhabha, 2 emphasis mine) 9

これらの「中間地点」の空間こそは、自己の戦略を練る領域となる。その戦略によって自己は単独あるいは共同体の新たなアイデンティティの兆候を示し始める。そして新たな共同と論争の場も生み出し、社会そのものの考えを定義していく行動にうつる。差異の領域が重なりあったり、Displacementすることで裂け目が現れてくる。そうした裂け目が出現することで、相互主観的で集合的な、民族的属性や共同体の利益や文化的価値の体験が考えられるのである。

 

境界において新たなるアイデンティティを形成していくのは、何かを越えていく時である。それによって、あとに残してきたものと、現実にいまここにあるものという二つの視点から眺めることになる。Displacementするということは、新と旧を対置することであり、新たな角度からながめることにつながる。それが「裂け目」であり、境界で文化的諸問題が洗われていくのである。主体は、Displacementすることによってどんどん自分の古い殻を脱ぎ捨てていく。主体は自我を溶解させ、文化の裂け目に立つのである。移民、故郷喪失者、亡命者がこの中間地点に立つ体験をする。

       

[Henry] James introduces us to the 'unhomeliness' inherent in that rite of extra-territorial and cross-cultural intiation. The recesses of the domestic space become sites for history's most intricate invasions. In that displacement, the borders between home and world become confused; and, uncannily, the private and the public become part of each other, forcing upon us a vision that is as divided as it is disorienting. (Bhabha 13, emphasis mine)

ヘンリー・ジェイムズが読者に紹介するのは、越境と文化横断の通過儀礼に内在する「故郷の喪失」である。慣れ親しんだ空間の奥まったところに、歴史がきわめて錯綜したかたちで侵入するための場ができる。こうしたDisplacementの過程で、故郷と世界の境界が攪乱される。そして、知らないうちに、プライベートとパブリックが互いの一部となり、無方向でしかも分裂した思考を我々に強いるのである。

 

  ヘンリー・ジェイムズはイギリスとアメリカを行き来し、その差異を見つめた小説家である。彼はアメリカとイギリスないしヨーロッパにある境界の上に立ち、両文化における裂け目あるいは奥まったところに目を向け、するどい洞察力で差異に横たわる普遍性を探るのである。そのためには一旦「故郷の喪失」を通過して自由の身分にならなければならない。まさに彼はDisplacementの作家なのである。

故郷喪失者とはDisplacementを実践する者のことである。場所から場所へと移動し、文化の単一性と同質性の安定を突き崩して、予測不可能ともいえる新しい文化の状況を脱中心的に探求する。亡命者同然の暮らしは、どんどん主体を変容させていくのを抑えることができない。亡命者や故郷喪失者は、普遍主義の文化的ヘゲモニーを解体し、文化本質主義を棄てて文化の境界をなくす姿勢をもっている。故郷を喪失し、領土を越え文化を横断することによって世界をより普遍的にとらえることができるようになるのである。

このように故郷を喪失することは、習慣的な日常生活から個人を解放し、新たな視点を付与する。それは、自由な立場から果敢に革新的なものに挑戦していくことである。そこには、中心だとか周縁だとかという二項対立はもはや意味のないものになっていく。固定観念を突き崩すには、自らも相対化する必要がある。そのためには、様々な意見を聞く態度が必要であり、それを受け入れる充分豊かな想像力が用意されるべきである。これが、ステレオタイプの見方であるオリエンタリズムを超克していく道である。

 

第二部

A Gesture LifeにおけるDisplacement

 

5.    日本的オリエンタリズム

 

オリエンタリズムは、かつて西洋におけるロマンチックな異国趣味、あるいは」西洋の学者たちの東洋学を意味していた。しかしサイードが、オリエンタリズムは文化による帝国主義支配であるとしてオリエンタリズムを告発して以来、それを克服しようとする思潮、つまりポスト・コロニアリズムが興隆してきた。サイードによると、オリエンタリズムの定義は「オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式」である。“Orientalism [can be discussed and analyzed] as a Western style for dominating, restructuring, and having authority over the Orient.”(Said 2)

 

 つまりオリエンタリズムは、西洋による東洋に対する差別的表象である。ところが近現代日本は植民地経営を視野に置く帝国主義的列強の一員となるにつれ、自らを西洋化した国だという認識をもってしまった。自分は東洋でありながら同じ東洋の国々に対して西洋的なオリエンタリズムの見方をするようになったのである。

日本的オリエンタリズムは従軍慰安婦という具体的な形で現れている。A Gesture Lifeの中には、従軍慰安婦がどのような経過をたどってなぜ招集されるようになったかということについての記述がある。

 

The greatest challenge, of course, would be venereal disease. It was well known what an intractable problem this was in the first years of fighting, particularly in Manchuria, when it might happen that two of every three men were stricken and rendered useless for battle. In those initial years there had been houses of comfort set up by former prostitutes shipped in from Japan by Army-sanctioned merchants, and the infection rate was naturally high. Now that the comfort stations were run under military ordinances and the women not professionals but rather those who had unwittingly enlisted or been conscripted into the wartime women’s volunteer corps, to contribute and sacrifice as all did, the expectation was that the various diseases would be kept more or less in check. (180) 10

もっとも取り組まなければならないのは、もちろん性病であるということになるだろう。戦争が始まって最初の数年で性病がいかに手に負えない問題であるかがよく知られていた。とくに満州では三人のうち二人がかかり、戦闘の役にたたなくなるという事態が起こりうる。最初の数年間は軍の認可を受けた商売人によって日本から船で送り込まれた売春婦が慰安所にいたので、感染する確率は当然ながら高かった。その後、慰安所は軍の規定にのっとって運営されるようになり、売春婦ではなく、知らないうちに軍のリストに挙げられたり戦時の婦人志願兵として徴集された女たちが貢献し、犠牲になったので多かれ少なかれ種々の病気がチェックされるだろうと期待された。

 

従軍慰安婦の多くは、韓国の女性たちを日本の工場で働かせる、とだまして連れてこられた人たちである。A Gesture Lifeにおける従軍慰安婦“K”も「下関のはずれにある革靴工場に働きにいけば、家族をたすけることになる」“They [K and her sister] would help the family by going to work in a boot factory outside of Shimonoseki.”(250)と思って家を出ている。従軍と称して、自国の女性を派遣することなく植民地の韓国の女性を戦地に送るのは、オリエンタリズムに他ならない。黒畑治郎ことドク・ハタが属する部隊の軍用自動車担当の伍長は韓国人に典型的な蔑視を向ける。

  

He crudely referred to the comfort girl as chosen-pi, a base anatomical slur which also denoted her Koreanness. Though I knew it was part of the bluster and bravado he displayed for his fellows, there was a casualness to his usage, as if he were speaking of any animal in a pen, which stopped me cold for a moment. (250-251)

彼(伍長)は乱暴にも慰安婦を「チョーセンピー」と呼んだが、それは朝鮮の女性であることを意味する肉体上の侮蔑をこめた言葉だった。仲間たちへの虚勢をはった空威張りから出た言葉だとわかっていたが、あまりにも当たり前のように使われ、小屋のなかの動物についてでもしゃべっているようで、私を一瞬凍らせるような気持ちにさせた。

 

従軍慰安婦の「従軍」という名が示すように、最初、ドク・ハタは彼女たちのことを「志願者“volunteers”」(250)なのだと聞かされていた。もちろん、すぐにその欺瞞は剥がされるが、戦時中は彼女たちを人間扱いしないのが当たり前の空気だった。ところが、軍医である小野大尉Captain Onoは従軍慰安婦たちの“K”だけを特別扱いにして、慰安所から隔離して黒畑中尉に管理させている。小野大尉によると、“K”(クッアKkutaeh, 235)には「きわだった存在感と意志、活発な精神、そして教養」“a definite presence and will and lively spirit”“clear breeding”(268) があって、「かしづかせて観察する価値」“to be observed and stewarded”(268) がある。“K”は小野大尉のオリエンタリズムを満足させる道具なのである。“K”が好きになってしまった黒畑中尉にとって、“K”を単なる人形のように扱おうとする小野大尉の発言は許せない。Displacementが機能しているかどうかの観点から見ると、明らかに小野大尉はKの人格は認めず、ただ彼女の美しい肉体と気品、存在感を観賞用としてながめる欲望をもっているにすぎないので、Displacement不全である。この小野大尉の発想は日本的オリエンタリズムを根底にしている。小野大尉の次の発言からそれがわかる。

 

Lieutenant! What do you [Kurohata] think the Home Ministry has been promoting all these years, but a Pan-Asian prosperity as captained by our people?  Do you understand what that really means? I can see you don’t. We must value ourselves however and wherever we appear, even in the scantest proportion. There can be no ignoring the divine spread of our strain. (268)

黒畑中尉。内務省がここ何年も推進してきたのは何だと思う。ほかでもない日本人を冠とする大東亜共栄圏だろう。それが何を意味するかわかっているか?わかっていないようだな。我々は、いかなる方法でも、どこにいても、わずかでも自分たちに価値を置かなければならない。我々の緊張した精神を広げていくことは神聖であって、軽視されてはならないのだ。

 

“K”の姉は同じように慰安所に連れてこられて、精神的に不安定だった遠藤伍長によって殺されてしまった。しかし“K”は、姉が兵隊たちにもてあそばれることなく遠藤伍長に殺されたことをむしろよかったと思っている。遠藤伍長も許可なく勝手に“K”の姉を殺したという理由で処刑される。“K”も黒畑中尉と心を通わせながらも、兵隊たちによって暴行を受け惨殺されてしまう。ビルマの戦地では従軍慰安婦も兵士たちも、すべての者が日本的オリエンタリズムの犠牲者だと言える。しかし、このような悲惨な状況の中で、“K”が黒畑中尉と交わす情感の描写は詩的な美しさをもっている。どうして、あふれるばかりの情感の豊かさがこの小説の中に生まれてくるのだろうか。

 

 

6.    「帝国主義的ノスタルジア」

 

 黒畑中尉は自分が在日コリアンであることを“K”に話した。彼女も黒畑中尉が自分の弟に似ていると言って互いに親近感を持ち、やがて二人は結ばれる。黒畑中尉は何とか彼女を助けたいと思う。二人の会話は無邪気で楽しい。二人は次のように会話する。

 

“K”:How we could perhaps meet again, in an interesting place like Hong Kong, or Kyoto. What fun times we might have, seeing the sights together. We were just talking, I know, but sometimes that’s enough to make everything seem real. (256)

 

Kurohata: I stayed awake until almost morning, thinking of other places you might like to see. (256)

“K”:私たちがたとえば香港とか京都のような楽しいところで、いつかまた会えるだろうかって。いっしょに見物をしたりすれば、私たちがどんなに楽しい時が過ごせるだろうって。単なる話にすぎなかったのだけれどすべてが本当に思えれば、それだけで十分なときもあるわ。

黒畑:君が見たい所はどこかなと考えて、ほとんど朝まで起きていた。

 

 戦時下とも思えない自由な若い二人の会話である。Displacementの視点で考えると、“K”は“We”という主語を使って自己だけでなく黒畑も輪の中に入れて夢を語っている。戦場という場所を香港や京都にdisplaceして、解放された日々を夢想する。交わす言葉も朝鮮語である。たえず相手の立場を考えながら、豊かな時間を共有している。従軍慰安婦という女性を性的欲望の対象としてだけで見るような世界とはほど遠いところに彼らはいる。

このような二人の束の間の愛の描写は、あとから思い起こす時にノスタルジアを伴う。ドク・ハタには“K”の悲惨な結末のトラウマがある一方で、ともに愛し合ったというノスタルジアもあるにちがいない。失ったものを悼むという気持ちがノスタルジアとなって彼の心に残っていることは否めない。ドク・ハタに「帝国主義的ノスタルジア」“Imperialist Nostalgia”といった面もあるのではないかということを議論してみたい。

「帝国主義的ノスタルジア」という言葉は、レナート・ロサルドRenato Rosaldoがその著『文化と真実』Culture and Truthにおいて使ったものである。ロサルドは、その中で「帝国主義的ノスタルジア」を次のように説明している。

 

Agents of colonialism often display nostalgia for the colonized culture as it was “traditionally.” The peculiarity of their yarning, of course, is that agents of colonialism long for the very forms of life they intentionally altered or destroyed. Therefore, my concern resides with a particular kind of nostalgia, often found under imperialism, where people mourn the passing of what they themselves have transformed…. Nostalgia is a particularly appropriate emotion to invoke in attempting to establish one’s innocence and at the same time talk about what one has destroyed….The relatively benign character of most nostalgia facilitates imperialist nostalgia’s capacity to transform the responsible colonial agent into an innocent bystander. 11 

植民地主義(帝国主義)を実行した者たちは、植民地化された文化が「伝統的」なものだったと言って植民地文化に対するノスタルジアを示すことがある。もちろん彼らがもつ思慕の念の風変わりな点は、植民地主義を実行した者たちが自分たちが意図的に変えたり破壊したりした生活様式そのものを懐かしがっていることである。だから、しばしば植民地主義のもとでみられるこうした特殊なタイプのノスタルジア、人々が自分自身で変えておきながら、それが消滅することを悼むという状況に私は興味がある。・・・ノスタルジアは、自らが潔白であることを確立し、それと同時に自らが破壊したものについて語ろうとするときに喚起するのに特に適した感情と言える。・・・ノスタルジアのほとんどは比較的優しい性質のものなので、帝国主義的ノスタルジアも、簡単に、責任を負うべき植民地主義の実行者の立場を罪のない傍観者に変えることができる。

 

黒畑中尉は、“K”と本当にDisplacementを実行して愛し合った。ところが、彼女は小野大尉を殺したあと、意外にも黒畑中尉を遠ざける態度をとる。彼女は現実を直視し、黒畑中尉との置かれている立場の違いを悟ったのである。彼女が小野大尉を殺しても、欲望をつのらせた部隊の兵士たちがまだまだ残っている。ところが、黒畑中尉は頑張ればどうにかなるような夢を描いている。黒畑中尉はその夢にのぼせてしまって彼女の立場をDisplacementして理解することができない。彼女は彼に拳銃で殺してくれと頼むが、彼にはできない。逃げ切れないと悟った黒畑中尉が彼女の立場を本当に理解しているならば、彼女の姉が殺されたがその方が兵隊たちに体の奉仕をさせられるよりはましだったと思ったように、彼女にとっては殺された方がよかったのである。黒畑中尉が彼女を殺せなかったばかりに、結局彼女は暴行され、身体をばらばらにされて殺されてしまった。彼は最後の局面では怪我をしていて彼女を救えなかったとは言え、彼女に対して「傍観者」だったのではないかという悔いが残ってしまった。傍観者はオリエンタリズムと同様、自分にとって都合のよいように立ち振る舞うだけで、他者との相互理解を深めることに失敗している。後にドク・ハタが養女サニーSunnyを迎え、償いの気持ちで育てる決意をするのは、“K”に対する哀惜の念と救いきれなかったことの償いの気持ちからである。

 彼が養子ではなく養女を迎えたのは、まさに“K”の生まれ変わりを欲していたからである。作品中に、「帝国主義的ノスタルジア」と思われる部分がある。サニーが大人になって、美しい肉体をもっていることを彼は賛美している。かつて“K”に抱いた女性というものへの憧憬がサニーを通して再現されている。

 

The young woman was certainly there, too, the near adultness of her [Sunny], and the sight of that shape made me realize why she had asked me to remain at home….It was her bodily presence, the sheer, becoming whatness of her limbs and skin and face and eyes. She was beautiful. (61-2)

若い女性がたしかにそこにいたのだ。彼女(サニー)はほとんど成熟して大人になっていた。その身体つきを見て、私にはなぜ彼女が私に家にいてほしいと思わせたかがわかった。・・・理由は彼女の肉体としての存在であり、彼女の四肢、肌、顔、目がまさに大人になっていることにあった。彼女は美しかった。

 

 また、別の部分にも「帝国主義的ノスタルジア」と思われる箇所がある。“K”の亡霊がドク・ハタのところに現れるシーンである。そこではドク・ハタに対し亡霊の“K”が上海や京都に連れて行ってくれる約束を果たすようにせがんだり、ドク・ハタが彼女にいつまでもそばにいてくれと頼んだりしている。姿を消した“K”を探しに屋外をさまようドク・ハタの姿は、「帝国主義的ノスタルジア」につつまれた彼のせつない心情を如実に表している。

 

 

7.    ドク・ハタにおけるDisplacementの可能性

 

養女サニーは成長するとともにドク・ハタに反発し、結局はヒッピーの仲間のところへ行ってしまう。なぜ、彼女は恵まれた環境を捨てて彼のもとを去ってしまうのか。彼は交際相手のメアリー・バーンズMary Burnsから次のように指摘を受けて、ようやくその理由を理解する。

 

But it’s as if she’s [Sunny is] a woman to whom you’re beholden, which I can’t understand. I don’t see the reason. You’re the one who wanted her. You adopted her. But you act almost guilty, as if she’s someone you hurt once, or betrayed, and now you’re obliged to do whatever she wishes, which is never good for anyone, much less a child. (60)

でも、あなたときたら、まるで(サニーが)恩義のある女性でもあるかのように扱っているわよ。それが私には理解できないし、その理由がわからない。彼女を養女として迎えたのはあなたでしょう。でもあなたは、彼女がかつて傷つけたか裏切ったかでもした人のように、ほとんど罪の意識で接していて、彼女が望むことは何でもしてあげなくちゃならないようにしているわ。でも、それは相手が誰であろうと、絶対にいいことではないわ。とくに子どもにはね。

 

やはり、この場面でドク・ハタが“K”に対する償いの気持ちでサニーを育てていることがわかる。“K”がもし従軍慰安婦として連れてこられなかったら普通に過ごすことができたはずの彼女の人生があった。サニーを身代わりに“K”の人生を遂げさせたいという彼の思いがここで明らかになる。ところが、サニーに限らず、人は固有の人生を持っているので、サニーは代用の人生を受け入れることはできない。のちに彼はそのことに気づく。彼は、サニーの育て方に失敗したのは自分の考え方に間違いがあったと反省をしているところがある。

 

In a way, it was a kind of ignoring that I did, an avoidance of her as Sunny―difficult, rash, angry Sunny―which I masked with a typical performance of consensus building and subtle pressure, which always is the difficult work of attempting to harmonize one’s life and the lives of those whom one cherishes.  (284)

ある意味で私がしたことは一種の無視だった。サニーを―気むずかしい、軽はずみの、怒りっぽい少女であるサニーを―避けたのだが、意見の一致をみたり、微妙に圧力をかけるという典型的なやり方で、本心を覆い隠した。自分の人生と大切な人々の人生を調和させようとするのはいつも難しい仕事である。

 

 また、彼はメアリーとの付き合い方に失敗した原因を次のように反省している。

 

Better for Mary Burns that I should be a man who could set her afire like a bowl in a kiln, better that I could so frustrate and anger her that I’d breach the thick jacket of her grace and unleash her woman’s fury, to make her finally crack, or splinter, or explode. (349)

メアリー・バーンズにとっては、私が彼女を窯のなかの鉢のように炎で包むことを望んでいたのだろうし、私が彼女をいらだたせたり怒らせたりして、その優雅さという厚いジャケットを破り、女の怒りを解放させて、ついには彼女を砕き、あるいはバラバラにし、感情を爆発させてやるほうがよかったのだろう。

 

Displacementの観点から言うと、時にはぶつかりあわないと、それぞれ相手の内面にくい込むことはできない。ぬるま湯につかった一方通行の人間関係は破綻する。だから彼女は養父ドク・ハタに反発した。彼に対する彼女の批判は辛らつである。

 

You [Hata] make a whole life out of gestures and politeness. You’re always having to be the ideal partner and colleague….That’s [People heed Hata’s words] because you’ve made it so everyone owes something to you….You burden with your generosity….It was even that way with Mary Burns, wasn’t it? You made it so that she couldn’t even be angry with you…. I never needed you. I don’t know why, but you needed me. But it was never the other way. (95-6)

あなた(ドク・ハタ)は生活の全部を体裁と礼儀でつくりあげている。あなたはいつでも理想的なパートナーとか仲間とかでいなければならないんだわ。・・・(人があなたの言葉に耳を傾けるのは)あなたがだれにでも何か恩義を感じるようにさせてきたからよ。・・・あなたは気前のよさで人に負担をおわせる。・・・メアリー・バーンズとだって、そうだったのよ、ちがう?彼女があなたに対して怒ることさえできないようにあなたが仕向けたんだわ。・・・私は一度もあなたを必要としなかった。なぜだかわからないけど、あなたにはあたしが必要だった。でもその逆は一度もなかった。

 

とくに、最後の“I don’t know why, but you needed me. But it was never the other way.”は、ドク・ハタとサニーとの間にDisplacementが正常に行われず、彼女にとって一方的に彼の考え方が押しつけられるものだったということがわかる。彼には徹底的に相手の内面にくい入る対話が不足していた。彼にしてみれば、人に親切にして何が悪いか、であるが、皮肉にも、そのことが人に負担を負わせる結果となっている。親切をするにしても相互の交流が必要であり、Displacementがなければ、共に生きているという実感が湧くことはない。

 

 

8.    日本と朝鮮とアメリカのポジションとドク・ハタの生き方

 

 このようにドク・ハタに対する批判はいくつかあるが、彼のこれまでの人生の背景を見れば、彼への同情は禁じ得ない。出来る部分はある。ニューヨーク郊外のベドリー・ランBedley Runに住み始めた時、彼は住民たちが自分を受け入れてくれるかどうか心配した。「国籍の問題はどこかに行ってしまって」“the question of my status mostly faded away”(4) 彼は平和な日常が送ることができた。それが何よりもうれしかった。そこで、彼の生活のスタイルは人に迷惑をかけないというものになった。

 

I have feared this [to be marked by a failure] throughout my life, from the day I was adopted by the family Kurohata to my induction into the Imperial Army to even the grand opening of Sunny Medical Supply. (229)

これまでの人生において、ずっと私はこれ(失敗によって非難されること)を恐れてきた。黒畑家の養子となった日から帝国陸軍に入隊し、さらにサニー・メディカル・サプライの開店日にいたるまでずっと恐れてきたのだ。

 

町での医療品販売は順調にいき、彼は財を蓄えて今は立派な住宅を構えている。彼の人生の始めは在日コリアンであった。勉強ができたので大都市の特別な学校に通うために、「ギアを製造する工場を営む子供のいない裕福な夫婦と暮らした」 “I lived with a well-to-do childless couple, a gear factory owner and his wife”(72)。 従軍してからは、医療行為に使命感を感じ、それを遂行することがそのまま国と天皇に忠義を果たすことになると信じていた。

“K”から「朝鮮人ですね」“You are a Korean.”(234)と言われた時は驚いたが、黒畑中尉は「生まれた時から日本に住んでいる」“I have lived in Japan since I was born.”(234)と答える。この時、黒畑中尉は彼女にまだ同胞意識を感じていない。一方、彼女へは、日本人は朝鮮語が話せたとしても表には出さないのを知っていて、彼がちょっと口にした彼女の国の言葉と、彼の顔つきが彼女の弟に似ていることから、彼女は彼を朝鮮人だと見抜いたのである。彼は日本に帰ったら、正式な教育を受けて医者になりたいと思っている。彼女によると、彼女の父は今は落ちぶれているが学者であり、大使という高貴な身分である。彼女の父はアジアにおける理想を彼女や彼女の弟に語った。

 

He always told my brother that we should revere our Asian heritage and protect it from foreign influences, that whether Chinese or Japanese or Korean we were rooted of a common culture and mind and that we should put aside our differences and work together. (249)

父はいつも弟に、私たちアジア人の伝統を尊重して、外国の影響からそれを守るべきだと話していました。中国人であろうと日本人であろうと朝鮮人であろうと、私たちは共通の文化に根ざしていて、違いはわきにどけていっしょに働かなければいけないと話していました。

 

彼女からこの話を聞いて、黒畑が「それはアジアが共栄し、アジアの生き方を発展させるという日本の天皇の言葉だ」と言うと、彼女は「というよりも日本人の生き方を発展させるというように聞こえる」と皮肉って答える。これは、日本的オリエンタリズムの議論となっている。彼女と結ばれると朝鮮語で「好きだ」と言ってしまうほど、彼の心は“K”に対して同胞意識にめざめる。「“K”の願いは私が生涯切望しつづけているものと同じだったのだと今は思う。自分が受け入れることのできる秩序の中での、自分自身の居場所だ」“I think now that K wanted the same thing that I would yearn for all my days, which was her own place in the accepted order of things.”(299)―これは、彼が彼女と同胞だと自覚した端的な言葉である。

 ドク・ハタはアメリカ社会で無難に生きていくことを最も願っている。

 

In fact I feel I have not really been living anywhere or anytime, not for the future and not in the past and not at all of-the-moment, but rather in the lonely dream of an oblivion, the nothing-of-nothing drift from one pulse beat to the next, which is really the most bloodless marking-out, automatic and involuntary. (320-1)

事実、私はこれまで、どこにも、未来・過去・現在のどの時間にも、本当に生きていたことなど一度もなく、むしろ忘却という寂しい夢の中で、まったく血の通わない記号ででもあるかのように、自動的に無意識に、鼓動から次の鼓動へと、無から無へと漂ってきただけなのだ。

 

無事に平和に暮らそうと思うあまり、彼は漂うような生活をしてきた。しかしながら、漂っていても、自分だけで生活は成り立たない。彼とともに家族になろうとする者にとって、彼の生き方はエゴイスティックなものに映る。彼のまわりにいる人々は、次第に彼から遠ざかっていく。彼はあとになって自分の人生を振り返り、ようやくそのことに気づく。

 

Now I finally think how much sense it made years ago, when perhaps without exactly knowing it herself, Sunny was doing all she could do to escape my too-grateful, too-satisfied umbra, to get out from its steadily infecting shade and accept any difficult and even detrimental path so long as it led far from me. (333)

今になってようやくそう思うのであるが、何年か前にサニーは自分自身はっきりとわかっていたわけではないが、彼女は私というあまりに押し付けがましく、あまりに自分勝手な影から逃れるためにあらゆる手をつくし、私という着実に忍び寄る尾行者から遠く離れて逃れることさえできるなら、どんなに困難な、どんなに有害な道でも受け入れようとした。それは何と理にかなっていたことであろう。

 

 ただ人に迷惑をかけまい、親切にふるまうというだけでは、人と人との相互行為・相互理解はない。それは独善的な生き方になり、その状況ではDisplacementが発揮されない。そこでは愛をはぐくむこともできないのである。強がってはいても孤独である。彼はやがて「家族がずっと一緒にいることで自然にうまれてくる希望」“the attendant hope of a familial continuation”(334)の大切さを悟る。そうでなければ「自分がこの世にいた」“my actually having been here” ということの証明にもならない。何とさびしいことであろう。

 ドク・ハタは、愛がなくても独力で生きていこうとしたが、それは無理であった。

 

And the idea entreats me once more, to wonder if something like love is forever victorious, truly conquering all, or if there are those who, like me, remain somehow whole and sovereign, still live unvanquished. (216)

ある思いがもう一度私をとらえる。愛というものが本当にすべてを克服して永遠の勝利をおさめるものなのか、それとも私のように、愛がなくてもどうにかこうにか自分の力だけで誇り高く独立し、なおも打ち負かされることなく生きていく人間もいるのだろうか。

 

独りで生きていくことのつらさをかみしめて、これからは、人に迷惑がかからなければいいという独りよがりの人生を捨てて生きようとする。「足をとめたところに旗をさそう」“I will fly a flag”(356)―これは彼の独(ひとり)言(ごと)であるがそこには、場所についても人についてもDisplacementして生きていこうという彼の決意が見られる。「自分の肉と血を支えて生きよう」“Let me simply bear my flesh, and blood , and bones.”と言い切れるのは、自分がどこにdisplaceしても自分の身体を保持し、他者との関係において充分な相互理解Displacementができるという自信が生じた結果である。

 

 

おわりに

 

 ドク・ハタは、在日コリアン、日本、そしてアメリカという3つのポジションをもつディアスポラである。コリアンとしてのポジションをもつについての意識は、戦時中のビルマで従軍慰安婦の“K”に接したことで喚起された。日本で彼は自分が大東亜共栄圏など全体社会の一員であるという教育を受けていたにもかかわらず、“K”は彼の民族意識を誘発したのである。戦後、彼はそれまでの犠牲心という日本的美徳や軍隊式行動規範から離れるために、日常的な市民生活の自由を求めてアメリカに移住した。Displacementを彼が知る重要な機会は二度あった。一つ目は、ビルマで“K”に出会い、悲劇的な体験をした時であり、二つ目は、メアリー・バーンズとサニーとの相互理解に齟齬をきたし、大きくそこでDisplacementを学んだ時である。“K”との間では、状況をしっかりと把握するためには、相手の立場も踏まえて考えなければならないことを学び、メアリー・バーンズやサニーとの間では、人に迷惑をかけず、人に対する親切な気持ちを保って静かな生活を営むが、人といっしょに生活するには、Displacementを考慮にいれないと、片手落ちの人間関係になることを学んだ。彼にとって“K”についての思い出は、彼の心の傷になったことはまちがいないが、「帝国主義的ノスタルジア」のように、むしろ心の支えになっている部分もあったことに注意したい。彼は “K”に対する償いのようにサニーを養女として育てたが、オリエンタリズム同様、それは一方的な愛し方であったので、独立心の旺盛で活発な彼女を納得させる力はない。その時、彼のDisplacementは明らかに不全に終わったが彼は次第にジェスチャー(体裁)だけで生きてきたことを悟り、それが失敗だったことに気づいて新しい土地で、Displacementを新しい人々との間で実践していこうと決意する。

人と場所とにおけるDisplacementは、自己と他者、自国と他国の相互理解が本質である。Displacementは西洋と東洋という二項対立的状況の中のオリエンタリズムの枠組みから抜け出すための方策を提供し、多文化共生という方向を探る場合においても、Displacementは有効な手段となる。Displacementを理解することは、自己と他者の相互関係において自己と他者の差異を差別的に見ることなく、差異の上にある美と愛を学ぶ姿勢や相互理解の精神を育成する。A Gesture Lifeという作品は、これらの問題点を浮き彫りにしてDisplacementのあり方を示唆してくれるものである。

 

Notes

 

A Gesture Lifeの日本語訳は、チャンネ・リー『最後の場所で』 高橋茅香子訳 新潮社 2002年、があるが、原題のA Gesture Lifeに準じて『最後の場所で』ではなく『ジェスチャー・ライフ』とした。

2  Edward Said, The world, the Text and the Critic (Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, 1983), 12. エドワード・サイード『世界・テキスト・批評家』(山形和美訳、法政大学出版局、1998年)19-20頁を参考にした。

3  Edward W. Said, Orientalism ( New York: Random House, 1979. 以下この本の引用はこの版に基づき略してSaid頁数とする。日本語訳は、エドワード・サイード『オリエンタリズム』上;下(今沢紀子訳、平凡社、1993年)を参考にし、拙訳をほどこした。

4  Christopher Norris, Deconstruction: Theory and Practice (London and New York: ETHUEN, 1983)

5  T Minh-Ha Trinh,When the moon waxes red: representation, gender, and cultural politics (New York : Routledge, 1991)

The Oxford English Dictionary (Oxford: Clarendon Press,1989), 814.

7  Jonathan Culler, On Deconstruction: Theory and Criticism after Structuralism (London: Routledge, 1983)

8  Bell Hokks, Feminist Theory: From Margin to Center (Boston: South End Press, 1984, 1988), preface. 日本語訳については『ブラック・フェミニストの主張:周縁から中心へ』清水久美訳、勁草書房、1997 年 v頁を参考にし、拙訳をほどこした。

9  Homi K. Bhabha, The Location of Culture (New York: Routledge, 1994, 2004)

10  Chang-rae Lee, A Gesture Life ( New York : Riverhead Books, 1999), p.180. 日本語訳は、チャンネ・リー『最後の場所で』 高橋茅香子訳 新潮社 2002年を参考にし、拙訳をほどこした。また, A Gesture Lifeの日本語名は『最後の場所で』ではなく『ジェスチャー・ライフ』とした。

11  Renato Rosaldo, Culture and Truth (Boston : Beacon Press, 1989, 1993), 69-70.レナート・ロサルド『文化と真実』椎名美智訳(日本エディタースクール出版部、1998年)105-6頁を参考にし、拙訳をほどこした。

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